*上=谷に沿ってつづく石切道 下=「白川石」と呼ばれる黒雲母花崗岩 |
比叡山南面から大文字山に至る山域には、花崗岩が広く分布しています。なかでも、音羽川流域と白川流域では山中に露出する良質の岩を切り出し、加工する石材業が発達していました。 この「白川石」は、京都を代表する石材の一つであり、熊野神社や桂離宮の造営に使われたことが知られています。城郭や社寺の石材として、また庭園用として各種の用途に加工されました。風化した白砂(白川砂)も造園用として名高く、現在も多くの需要があります。 一乗寺長尾から井手ヶ谷にかけて、音羽川の各支谷の源流にあった石切場(石切丁場)には、それぞれ石切道が本流よりつけられていました。現在もっとも明瞭に痕跡が残っているのは、一乗寺長尾の標高640m付近にあったものです。 音羽川は砂防工事が続けられ、取付点は不明瞭になっていますが、その上部へ入ってしまうとガラガラの谷沿いにその道が残存しています。 また、瓜生山の清沢口にあったものは、大山祇神宮から登る谷沿いに、放置された石が散見できます。 |
*石切場(石切丁場)に散らばる粗加工された石 |
→関連項目← |