■見どころ
八 瀬
若狭街道の難所で、後醍醐天皇より年貢免除の綸旨を受けるなど、皇室とのつながりが深いところです。上の写真は、平安遷都千百年紀念とう(木棠)。
御蔭神社
四明ヶ岳の山麓に鎮座する、賀茂御祖(下鴨)神社の境外摂社。二棟の本殿には、玉依姫命と鴨建角身命が祀ってあります。葵祭にさきだって御蔭祭が行なわれます。
赤山禅院
修学院離宮の北側にある赤山明神は、道教の神「泰山府君」とも呼ばれています。唐へ渡った円仁が、帰朝の途中に登州へ漂着して、そこの赤山神に祈願し帰国後建てたものです。
曼殊院門跡
伝教大師によって延暦年間(782〜806年)に創立され、鎮護国家の道場として「東尾坊」と号したようです。のち善法院と称し、天仁年間(1108〜1110年)に忠尋が曼殊院と改めました。
一乗寺
北墓には鎌倉時代の石仏があります。そのほか、親鸞聖人旧跡の碑が建つ本願寺北山別院、与謝蕪村や松尾芭蕉の句で知られる金福寺、八大神社、波切不動尊などが山際に点在します。
一乗寺下り松
吉川英治の小説『宮本武蔵』にある、吉岡一門との決闘で知られます。また、源氏の追求を逃れた平敦盛の妻がこの松の下にわが子を捨てたところ、賀茂の社へ詣でる法然が通って、連れ帰って養育したという話も残っています。
石川丈山(重之)墓
丈山は三河の武士で詩人。1641(寛永18)年に詩仙堂丈山寺を建てました。背後の山には、丈山と門人だった平巌仙桂の墓があります。
勝軍地蔵
北白川山ノ元町の丸山にあり、瓜生山頂から移したものといわれています。高台だけに、東山から京都市内の眺望も楽しめます。
北白川御殿(雪輪殿)
門跡院のひとつで、照高院の興意法親王が再建。6代目にあたる忠譽法親王の時代に聖護院の領地となりました。1875(明治8)年に取り壊されましたが、近くには聖護院の法親王らの墓として、内御廟と外御廟(道周・道晃・道尊法親王)があります。また、道筋にある橋は御殿橋と名づけられ、近くに北白川天神もあります。
浄土院
慈照寺門前の北側にあり、かつてあったとされる浄土寺の遺仏を安置しています。また、大文字の送り火を受け継いでいます。大文字山の登り口にある八神社は、浄土寺の鎮守社といわれています。
慈照寺銀閣
1483(文明15)年、義政が東山浄土寺の旧跡に山荘を設け、庭づくりに情熱を燃やしたとされています。天文年間(1532〜1555年)に大半が消失し、東求堂と銀閣だけが当時の姿を伝えています。
法然院
1680(延宝8)年、知恩院の万無心阿が祖師の霊跡に建てました。浄土宗の念仏道場として知られています。墓地には、江州石塔寺の三重塔を模倣した阿育王の記念石塔のほか、河上肇・谷崎潤一郎・九鬼周造・内藤湖南など、著名人が多く眠っています。法然や安楽の住まい跡は、もう少し東の山中にあったようです。
「哲学の道」
銀閣寺道から若王子まで、疏水に沿った散歩道をそう呼んでいます。名は旧京都帝国大学や旧制第三高等学校の先生や学生がよく歩いたことに由来するといわれていますが、いくつもの説があって確かなことは明らかではありません。導水管が埋められ、その上に道が整備されましたが、かつては川幅も広くかっこうの水遊びの場でした。沿道の桜並木は美しく、四季を通じて人の姿が途切れることはありません。
鹿ヶ谷
1177(治承元)年、平氏政権の転覆を計画した密議の場として知られています。中心人物は藤原成親・師光(西光)・僧俊寛らで、そもそも私怨から発したようです。近くに、浪切地蔵や霊鑑寺宮墓があります。
大豊神社
鹿ヶ谷宮ノ前町にあり、少彦名命および応神天皇・菅原道真を祭神として祀っています。ここでは、狛犬の代わりにネズミが迎えてくれます。
熊野若王子神社
天照大神の別号である「若一王子」に因む社名で、若王寺の鎮守社といわれています。若王子山へ向かう登り口には瀧宮神社があり、若王子墓地への参道が通っています。
新島襄の墓
いわゆる若王子山の山上にあり、一帯は同志社の創立に尽力した人たちの墓地が広がっています。文字は勝海舟の書といわれています。
南禅寺山(独秀峰)
この山から南側の神明山にかけては、静かで緑豊かな散策路がつづいています。山中には、日向神宮や大日山墓地が点在します。
日本最初の鉄筋コンクリート橋
神明山から日ノ岡へ下れば、この橋を渡ります。疏水の第三トンネルの東側にあり、傍らに記念碑も建っています。
日ノ岡
「日岡は一に日向に作られる。(中略)往時は山科郷に属していた」と『京都府山科町誌』にあります。日ノ岡峠を越える江戸時代の道は、幅が狭く急勾配だったため、木食養阿上人が峠の修築工事をしたようです。そして、通行を容易にするため、車石が敷かれました。
粟田口(東三条口)
都への入口にあたる粟田口(東山ドライブウェイの陸橋付近)には、かつて刑場がありました。それらの人々の霊を慰めるため、日ノ岡に「南無阿弥陀佛」名号碑が建てられています。ほかに、峠の改修工事の犠牲者を弔うためだとか、山賊に殺された旅人の供養塔という説もあります。■全コース=[中級]、コースの一部分=[初級] |