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弁慶水 御廟道 「薬師如来御衣木旧跡」碑
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自然教室02 自然教室01
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*左上=山王院ノ辻近くに湧く弁慶水 中上=御廟道 右上=「薬師如来御衣木旧跡」碑
  下=かつての「比叡山自然教室」の展示
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東塔から西塔への道
 東塔西谷と西塔南谷は隣接しているため、雲母越・黒谷越と回峯行の道を中心にいくつものルートがあります。
 雲母越の「鎮護國家」碑から主稜線を西塔へ下る道のほか、山王院ノ辻から浄土院(伝教大師御廟)への石段を下り、釈迦堂へ向かう広い道が最も利用されるものでしょう。なかでも、浄土院周辺の掃き清められた静けさと景観は、読経の声とともに張りつめた雰囲気をいっそう強めています。
 浄土院の門前から東側へ廻り込むと別當大師光定廟の小さな堂があり、よりいっそう静寂さを漂わせています。浄土院の裏手より西塔の椿堂へ、回峯行の道もあります。
 また、箕淵弁財天社の前から西塔駐車場へ向かえば、南東の端に滋賀県比叡山自然教室がありましたが、2007年に休館となり2008年に取り壊されました。
 これで、比叡山にある自然科学系の一般向施設はすべて姿を消しました。


 ■参考時間 東塔・根本中堂〈10分〉山王院ノ辻〈5分〉浄土院〈10分〉西塔・釈迦堂[初級]
       「御衣木旧跡」碑コース:浄土院〈5分〉別當大師廟〈15分〉「御衣木(みそぎ)旧
       跡」碑[中級]


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峰道05 地主権現旧跡 不二門旧跡
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峰道〔修禅峰道(西塔〜横川)〕
 西塔の釈迦堂から玉体杉を経て横川中堂を結ぶ尾根道をいいます。「十九丁」石の先にある玉体杉は、主稜線にある大きなスギだけに、離れたところからでもはっきり指摘でき、よい目印となっています。回峯行者は、その前にある蓮台石で御所を望み、玉体安穏天下泰平の加持祈祷を行ないます。地主谷の源流に入り、「地主權現すぐ」の石造道標がある露岩は、地主権現の影向岩といわれる二宮釣垂岩です。一段上には地主権現社(小比叡明神)の基壇だけが残っています。
 尾根道を進み、「十三丁」の先で道は二分します。本来の峰道は左側で、丘の上には修禅鳥居が建っていました。いまも江戸時代に建立された鳥居の一部が残っています。

 ■参考時間 釈迦堂〈30分〉玉体杉〈5分〉せりあい地蔵〈5分〉二宮釣垂岩〈15分〉不二門〈10分〉蟻塚〈5分〉龍池[初級]

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*左=峰道には元三大師堂への丁石が目立つ 中=地主権現旧跡 右=而二門旧跡

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 回峯行者
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*修行の道を行く回峯行者
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ワラジ 正教坊

回峯行
 役ノ行者を開祖とする南山修験に対し、回峯行は「北嶺の修
験」といわれています。創始者は慈覚大師の弟子である建立大
師相応和尚(831〜918年)。
 この行には三つの流派があり、無動寺谷の玉泉房流=無動寺
本流(玉照院東塔行者)と西塔の正教坊流(正教坊西塔行者)、
そして横川飯室谷回峯の恵光坊流(松禅院横川行者)がそれに
あたります。
 最近では、酒井雄哉師の弟子である無動寺・宝珠院の藤波源
信阿闍梨が、2003(平成15)年9月に千日を果たされました。
 また、2009(平成21)年10月に光永圓道阿闍梨がつづいて
成し遂げられました。記録が残る比叡山焼き打ち以降、50人目
(戦後13人目)になります。その後、2017(平成29)年に釜
堀浩元阿闍梨がつづきます。

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*左=行に欠かせないワラジ 右=正教坊

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