*左=慈眼庵(北在地) 中=庚申塔(上在地) 右=古知谷阿弥陀寺 |
近江の伊香立と山城の大原小出石を結ぶ峠道で、明治時代の5万分の1地形図「京都東北部」には二つのルートが記されています。一つは上在地から455mの標高点を通って小出石の八幡宮に至る小出石越(八幡越)で、もう一本は少し南の鞍部を越えて古知平の伊香立橋に達する実線路です。 |
伊香立から小出石越 |
古知平より伊香立越 |
若狭街道(敦賀街道) |
*かつての途中越(峠部分) |
*峠に建つ道標 右=西へ下れば大原の盆地へ |
仰木(上仰木)と大原(上野)を結ぶ峠で、篠峯越とも呼ばれています。延暦寺と鞍馬寺を結ぶ役割も持っていたとされ、鞍馬〜薬王坂〜静原〜江文峠〜大原という、ほぼ東西一直線にのびる道筋がそれにあたります。 |
仰木から峠へ |
走出から「峰辻」を越えて仰木へ |
*左=白鳥越の道から比叡山を仰ぐ 右=山城側は広葉樹林が広がる |
『山城名勝志』の付図である「愛宕郡図」には、一乗寺村から竹内門跡(曼殊院)の南を経て江州穴太村に至る道として紹介されています。また、『近江輿地志略』では青山越(古路越)、『都名所圖會」では名古路越と呼ぶことも記され、複数の名称がつけられていました。 |
穴太から一乗寺へ |
*「志賀山越眺望」(林 蘭雅) |
*左上=旧道に残る馬頭観音 右上=志賀の大仏 左下=大閤の石仏(北白川) 右下=志賀越道の石仏、西側には「ひゑいさん」の道標も建つ |
「志賀の山越」は平安時代の『古今和歌集』(900年代初めごろ)などに詠まれ、近江の歌枕の一つとして知られています。この山越えの道も白鳥越(青山越)と同じように、坂本と京都を結ぶ輸送路として栄えたようです。 |
崇福寺から峠へ |
*左=三井寺観音堂から比叡山を望む 中=修行の道に打ちつけられた碑出 右=如意寺の庭園跡といわれる灰山 |
園城寺(三井寺)の背後にある長等山から、如意ヶ岳の稜線を辿って、大文字山の南側を鹿ヶ谷に至る道です。古代より近江と山城を結ぶ間道として、あるいは通商の道としてよく知られていました。また、時代が下がると、三井寺への参詣道として盛んに利用されたようです。 |
道筋点描 |
*左=峠に建つ喜一堂 右=東海道との分岐に建つ道標 |
『大日本地名辞書』によれば、「逢坂山の北にある小関越は大津より藤尾に至る経路にして、地形より見てこれがいわゆる古関にて、東国に至る最古の道なるが如し」と書かれ、大関(逢坂越)に対していわれた小関ではなく、古い道だと指摘しています。 |
大津より四ノ宮へ |
逢坂越 |