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慈眼庵 庚申塔 阿弥陀寺
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*左=慈眼庵(北在地) 中=庚申塔(上在地) 右=古知谷阿弥陀寺
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 近江の伊香立と山城の大原小出石を結ぶ峠道で、明治時代の5万分の1地形図「京都東北部」には二つのルートが記されています。一つは上在地から455mの標高点を通って小出石の八幡宮に至る小出石越(八幡越)で、もう一本は少し南の鞍部を越えて古知平の伊香立橋に達する実線路です。

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伊香立から小出石越
 現在の峠道は、北在地から真野川上流へ入るのが主要ルートになっていますが、古くは上在地からの道がその役目を担っていました。
 ■参考時間 北在地〈60分〉小出石越〈20分〉小出石[中級]

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古知平より伊香立越
 古知平町の阿弥陀寺前から街道を北上すると、伊香立橋に出ます。今は国道367号のバイパスが新伊香立橋で大原川を渡りますが、ここから東へまっすぐ登り、谷筋に入って峠に達します。
 ■参考時間 古知谷〈40分〉伊香立越〈40分〉上在地[中級]

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途中越

若狭街道(敦賀街道)
 京都から途中越(龍華越)・花折峠(高坂峠)を経て朽木谷に至る道で、さらに保坂で九里半越と合流して小浜へ通じる街道です。
 平安時代中期には既に存在したといわれ、魚街道(「鯖街道」)・塩の道として親しまれてきました。

 ■歩行には適さず割愛

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*かつての途中越(峠部分)
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仰木越 大原
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*峠に建つ道標 右=西へ下れば大原の盆地へ
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 仰木(上仰木)と大原(上野)を結ぶ峠で、篠峯越とも呼ばれています。延暦寺と鞍馬寺を結ぶ役割も持っていたとされ、鞍馬〜薬王坂〜静原〜江文峠〜大原という、ほぼ東西一直線にのびる道筋がそれにあたります。

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仰木から峠へ
 上仰木にある仰木越と元三大師道の分岐点から右手へ進みます。天神川上流の谷に沿って登り、滝壺から奥山割谷林道をそのまま辿ります。ところどころに旧道が残っています。
 ■参考時間 仰木〈30分〉滝壺神社〈30分〉仰木越〈35分〉野村岐れ[初級]

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走出から「峰辻」を越えて仰木へ
 八瀬から横川へ通じる参詣道(元三大師・日蓮聖人)として盛んに利用されましたが、仰木と結ぶ峠道としても使われました。時代や文献によっては「横川越」と称しています。

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白鳥越 広葉樹
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*左=白鳥越の道から比叡山を仰ぐ 右=山城側は広葉樹林が広がる
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 『山城名勝志』の付図である「愛宕郡図」には、一乗寺村から竹内門跡(曼殊院)の南を経て江州穴太村に至る道として紹介されています。また、『近江輿地志略』では青山越(古路越)、『都名所圖會」では名古路越と呼ぶことも記され、複数の名称がつけられていました。
 古路越の呼称は、山中越(今路越)に対するもので、相対的に新しい名前であったことがわかります。

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穴太から一乗寺へ
 穴太の取りつきははっきりしませんが、キツネ山(272m)で1本の尾根にまとまります。「浄刹結界趾」と無動寺道の鳥居を過ぎると主稜線(夢見ガ丘)です。今は稜線上を歩くことができないため、東海自然歩道に従っていったん北側へ下降し、登り返して無動寺道(京道)へつなぎましょう。
 いっぽう山城側は、近世には無動寺への参詣道と結びついて、何本もの登路が今も残っています。しかし、中世の道という場合は尾根道と考えたほうがよく、瓜生山(元勝軍山)からテンコ山へのルートがもっとも可能性が高いと思われます。

 ■参考時間 穴太駅〈60分〉明智ヶ馬場〈45分〉ガンガラ辻子〈25分〉比叡山ドライブウェイと交差〈35分〉掛橋〈40分〉一乗寺北墓〈10分〉一乗寺下り松[中級]

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林蘭雅
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*「志賀山越眺望」(林 蘭雅)
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馬頭観音 志賀の大仏
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北白川 志賀越道
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*左上=旧道に残る馬頭観音 右上=志賀の大仏
左下=大閤の石仏(北白川) 右下=志賀越道の石仏、西側には「ひゑいさん」の道標も建つ
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 「志賀の山越」は平安時代の『古今和歌集』(900年代初めごろ)などに詠まれ、近江の歌枕の一つとして知られています。この山越えの道も白鳥越(青山越)と同じように、坂本と京都を結ぶ輸送路として栄えたようです。

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崇福寺から峠へ
 滋賀里の聚落を外れると、6世紀後半の群集墳として知られる百穴古墳群があり、その少し西側に「志賀の大仏」の礼拝堂が建っています。近くには、崇福寺と梵釈寺の跡もあります。
 いっぽう、山城側にある荒神口(京都市上京区、清荒神の入口)は、中世には「今道の下口」「白川口」「坂本口」とも呼ばれ、京への入口の一つに数えられていました。ここから北白川の石仏を通り、白糸ノ滝を経て身代不動尊に達します。山中町へ入る手前に、「從是西南 山城国、從是東北 近江国」という標石と、道の山側に重ね石があります。室町時代頃の作だとされています。西教寺の門前にある薬師如来石仏は一里塚で、北白川と志賀の大仏よりそれぞれ一里だと伝えられています。瀧川に沿って東へ向かう道は、やがて江戸時代の無動寺道を左に分け、東の植林された谷をつめると峠に出ます。

 ■参考時間 滋賀里駅〈15分〉志賀の大仏〈45分〉志賀越〈30分〉山中町[中級](山城側の道筋のうち、北白川仕伏町から近江・山城国境までは歩行に適さず割愛)

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三井寺観音堂 碑出 灰山
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*左=三井寺観音堂から比叡山を望む 中=修行の道に打ちつけられた碑出
 右=如意寺の庭園跡といわれる灰山
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 園城寺(三井寺)の背後にある長等山から、如意ヶ岳の稜線を辿って、大文字山の南側を鹿ヶ谷に至る道です。古代より近江と山城を結ぶ間道として、あるいは通商の道としてよく知られていました。また、時代が下がると、三井寺への参詣道として盛んに利用されたようです。

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道筋点描
 長等山から如意ヶ岳への道を辿ると、如意寺の遺構だと思われる平坦地が道に沿って各所に残っています。とくに、灰山(京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町)は、現地調査から庭園遺跡ともいわれ、独特の景観を呈しています。
 池ノ地蔵(池ノ谷地蔵)の石仏は、もと如意寺にあったもののようです。如意ヶ岳の南面に如意寺の本堂跡があります。
 山城側は、鹿ヶ谷にある霊鑑寺が登り口となり、俊寛僧都旧跡道を登ると、桜谷川を離れて尾根に取りつきます。「俊寛僧都忠誠之碑」と「俊寛僧都鹿ヶ谷山荘遺址碑」の二つの石碑が建つ地点の下には楼門ノ滝(如意ノ滝)があります。上流は一変して穏やかな流れになり、付近の平坦地は如意寺の寳厳院跡だといわれています。付近には鹿ヶ谷経塚跡があり、そのすぐ東側には「俊寛の石の唐櫃」といわれる石組が残っています。
 大文字山の南東部は尾根道がよく発達し、それらを使って山科や日ノ岡・蹴上などへ簡単に達することができます。『山城名勝志』にある藤木越も、そのような道のひとつだったのでしょう。

 ■参考時間 三井寺駅〈10分〉園城寺〈35分〉坊越の峠〈50分〉灰山〈40分〉雨神社〈10分〉大日山へ至る尾根の分岐〈10分〉俊寛僧都碑〈15分〉霊鑑寺〈5分〉宮ノ前町[初級]

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喜一堂 分岐の道標
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*左=峠に建つ喜一堂 右=東海道との分岐に建つ道標
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 『大日本地名辞書』によれば、「逢坂山の北にある小関越は大津より藤尾に至る経路にして、地形より見てこれがいわゆる古関にて、東国に至る最古の道なるが如し」と書かれ、大関(逢坂越)に対していわれた小関ではなく、古い道だと指摘しています。

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大津より四ノ宮へ
 江戸時代には、観音巡礼の道として盛んに利用され、長等神社近くの登り口には、それを表わす詳細な石造道標が建っています。歩き始めると、すぐに堅田源兵衛の首を安置する等正寺があり、車道になった道を峠に達すると、道路の南側に地蔵尊が祀られています。
 車道と分かれ、琵琶湖疏水の工事用立坑を左に見て茶畑の中を下って行くと、普門寺で藤尾奥町からの道を合わせます。さらに下った寂光寺には鎌倉時代の磨崖仏があり、茶戸町の住宅地に入ります。東海道との出合には、1822(文政5)年に定飛脚問屋の手によって建立された「三井寺觀音道、小關越」という立派な石造道標が建っています。

 ■参考時間 上栄町駅〈10分〉長等神社〈30分〉小関越〈15分〉普門寺〈35分〉四宮駅[初級]

 
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逢坂越
 逢坂山について、万葉人は「相坂を打ち出て見れば近江の海 白木綿花に浪立ちわたる」とうたっています。また、10世紀の『延喜式』には、越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の6箇国から京都へ向かう租税は、越前敦賀まで海路を、塩津から大津までは琵琶湖を利用したことが記されています。また、関が設けられたことも、史書に数多く取り上げられています。
 ■参考時間 浜大津駅〈5分〉札ノ辻〈10分〉関の蝉丸神社〔下社〕〈15分〉逢坂越の峠〈10分〉大谷駅[初級]

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