雲南・貴州・四川(踏査)のうち、四川大地震被災地の現状 |
什方(fang)穿心店(Ying Hua鎮)で倒壊した化学工場 ここでは73名が死亡し、200名以上が負傷した(fang=正しくは、「かたへん」に「おおざと」) |
すべて破壊されつくした同工場 |
工場内の事務室 |
山頂までつづく犠牲者の墓(映秀鎮) 墓碑を見ると幼い児の名前が多く、涙を誘われた |
倒壊した映秀の中学校 生徒多数と教師11名が犠牲になった、映秀の象徴的現場 |
手付かずのままの工場(映秀) |
崩れ落ちた橋(小魚洞鎮) 亀裂の幅がかなり大きい |
能海寛や伊東忠太がたどったルートを踏査するため、成都から重慶経由で雲南までトレースした。 時間的な余裕ができたので、四川大地震の跡がどうなっているのか知りたく、映秀ほか4箇所を訪ねた。いたるところに廃虚と化した建物が放置されていて、復興の難しさを感じた。とくに映秀の倒壊した中学校は、もしこの地震がもう少し早い時間に起こっていたら、おそらく教師・生徒のほぼ全員が死亡したのではなかろうかというほどの壊滅的な崩壊状況で、あらためて地震のエネルギーの凄まじさを思い知らされた。近くの裏山に犠牲者の墓や追悼碑があり、花を供え合掌したが、涙の止むことはなかった。[2009年7月 盛田武士] |
被災地マップ |
© Hengduan Mountains Club, Japan |