衣掛岩 神宮寺趾〜悲田谷出合 |
*衣掛岩(大宮川右岸から) |
*衣掛岩から大宮川下流を望む |
*衣掛岩の最上部 |
*行者道から見る衣掛岩(最上部) |
*ほかにも大きな岩が目立つ |
*左=神宮寺趾の標石と奥惣社 *右=岩場に生えるヒトツバ |
*左=日吉大社と延暦寺の境界が入り組むため、標石に彫られたラインは頻繁に折れ曲がる *右=大宮川本流に架かる岩阿橋 |
神宮寺山の南面は、大宮川左岸に険しい斜面がつづきます。そこに飯室谷回峰行の行者道が通り、衣掛岩の傍から悲田谷出合の近くへ降りることができます。 神宮寺趾は、2006年に発掘調査されたのち日吉大社奥惣社周辺が整備され、現在は八王子山(牛尾宮・三宮)から誰でも行くことが可能になりました。しかし、回峰行の道は山道そのもので、急斜面をトラバースしながら衣掛岩に向かいます。途中にも大岩があって、気を抜くことができません。ただ、フィックスロープが張られておりルートを外す危険はないでしょう。 「愛護若」(あいごのわか)の伝説で知られる衣掛岩は、下草がなくなったため簡単に近づくことができます。ただ、環境が変わったせいか、ヒトツバに覆われる面積が少なくなりました。 「あいごの若が世に出るならば松も千本 葉も千本、もしも此の世に出ぬならば松も一本 葉も一本」と言い残して、この岩に破れ衣が掛かっていた物語は説経節や人形浄瑠璃で永く語られてきました。ほかに、日吉大社縁起も伝わっています。 下り坂になると大宮川の水流が近づき、岩阿橋(いわくまがばし)を渡って左折すると悲田谷の出合です。川の屈曲部に小さな落差が連続しますが、かつてこの辺りに藤ヶ滝が懸かっていたそうです。 ※コースの地図は国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)を背景に使用し、道や地名を加筆しました。 |
馬ヶ背の道 牛ヶ平から三石岳に登る |
*西教寺から馬ヶ背・三石岳を見上げる |
*左=尾根の取付(足洗川左岸) *右=平坦地の石仏群 |
*送電線の鉄塔と比良山系 |
*牛ヶ平 |
*左=洗袋泉にあるスギの大木 *右=三石岳の三等三角点 |
延暦寺の伐採と植林作業に伴って、三石岳周辺の風景が大きく変わってきました。最近の様子を確認しようと、坂本の西教寺から牛ヶ平を経て横川の行者道をめざしました。 地形図にある取付付近の道は、私有地と薮に阻まれて尾根へ上ることが困難です。そこで、足洗川左岸の尾根に末端から取り付きます。上部に上水道の配水タンクがあり、辺りに石仏や石積みが残ります。岩が点在する急斜面を越えると、作業林道の終点に出て送電線の鉄塔が建っています。その上部の平坦地が牛ヶ平です。栢ノ木谷へ向かう山道が右に分岐し、すぐ前方にエリアを示す標石を見ることができます(→標石の写真)。 古道を思わせる掘り込まれた尾根道をなおも登ると、急峻な傾斜が徐々に弱まって林道の行者道に達します。樹木がすっかり成長し、眺望がきかなくなりました。少し北に行くと、水が枯れた洗袋泉があります。ここは、慈覚大師円仁が印袋(はんぶくろ)を洗ったとされる水場です。道はありませんが、尾根をそのまま登れば三石岳の頂上に達します。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
京都一周トレイル東山コースから訪ねる新島八重の墓 東山42〜同志社墓地〜駒ヶ滝〜思案処(思案ヶ辻) |
*左=標識No.42(ここで「若王子墓地」の道へ) *右=ウエダ池 |
*左=同志社墓地の正面には八重・襄、デイヴィス(宣教師)の墓が並ぶ(左から) *右=八重の母・山本さく(佐久)、父・権八、弟・三郎の墓(左)と兄・覚馬の墓(右) |
*新島八重(左)と新島 襄の墓(右) |
*左=きれいに清掃された駒ヶ滝付近 *右=駒ヶ滝(傍らに道智僧正を祀る祠がある) |
*思案処(思案ヶ辻)で交差する道の関係(*御陵へは、鞍部のすぐ下で道が二つに分かれる) |
2013年のNHK大河ドラマの主人公は、新島八重です。幕末から明治へ、社会が大きく変化する時代を象徴する一人と言えます。人生の大半を過ごした京都には、新島旧邸や同志社女子大学(同志社分校女紅場)など関係する場所が各所にあります。京都一周トレイル東山コースからちょっと寄り道して、同志社墓地を訪ねてみましょう。 ここでは、標識「東山42」から墓地へ下り、南禅寺の奥にある駒ヶ滝から思案処(思案ヶ辻)へ戻る方向で取り上げます。逆コースの場合は、各分岐での道の判断が必要になりますが、歩きやすさで選ぶなら後者でしょう。 東山42から少し西に下ると右へ道が分かれます。この道は熊野若王子神社方面に行きますので要注意。ウエダ池の南側を下ると、滑りやすい岩が出てきますので慎重に足を運びましょう。南へ向かい、傾斜が緩くなると若王子墓地です。同志社墓地は南端にあります。墓地内には、八重の家族の墓と兄・覚馬、その娘の久栄の墓もあります。 そのまま南へ進み、谷を下れば駒ヶ滝に出ます。なおも下れば南禅寺ですが、山腹をトラバースして思案処(思案ヶ辻)の鞍部に登ればトレイルコースに戻れます。 〔※地図は「京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山」(部分)を縮小して使用し、道を加筆しました〕 |
静かな西塔の道 釈迦堂〜瑠璃堂・正教坊 |
*瑠璃堂(右)と正教坊(左奥) |
*左=愛宕山と京都市街も見える *右=立ち並ぶ巨木 |
*苔に覆われるスギの表皮 |
*瑠璃堂 |
織田信長の焼き打ち(1571年)から、延暦寺で唯一残ったとされる瑠璃堂は、西塔の堂舎が並ぶ地域から離れた場所にあります。すぐ北側に正教坊という修行の場があり、俗界から隔絶された空気が漂います。 道の途中にはスギの巨木が残され、いつ行っても比叡山の奥深さを感じることができます。以前は、黒谷青龍寺への参詣道でしたが、正教坊の先が土砂崩れによって崩落し現在は通行できません。西側の山腹は、かつて数多くの寺院があったエリアで、古道が何本か生きています。 正教坊ヘの立ち入りもできません。再び釈迦堂へ戻る必要がありますが、時間をとって訪ねる価値はあります。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
修行と参詣の道〔無動寺本坂〕庄ノ辻〜庄墓〜遠見岩〜箸塚〜明王堂〜弁天堂 |
*左=庄ノ辻に立つ無動寺道の標石(距離は二十五丁) *右=相応水の水場(後ろに浄刹結界趾の標石がある) |
*左=折り返しながら上る不動坂の石段 *右=不動石仏 |
*左=法華塔 *右=和労堂跡(手前は紀貫之の墓を案内する標石) |
*遠見岩(トウノ岩)から山麓を見下ろす |
*左=相応和尚廟 *右=玉照院 |
*左=大乗院 *右=明王堂 |
*無動寺明王堂前からの眺望 |
*弁天堂で催された造天會大祭法要で(2012.7.8 大般若転読) |
坂本の庄ノ辻から山手に向かい、裳立山の中腹を巻いて無動寺へ行く道は、無動寺本坂や迎坂と呼ばれています。玉照院の回峯行の道であり、明王堂や弁天堂へお参りする道でもあります。 庄墓の北側を通って谷筋に入ると相応水の水場があります。すぐ上流で車道は終わり、石段のつづく坂道で尾根に出ます。この区間を指して不動坂ともいいます。不動石仏と文化十三年と刻まれた法華塔があります。次の石仏は、千日回峯行を二度満行された正井観順阿闍梨を供養するために建立されたものです。山腹をトラバースし、和労堂(宿)の跡を経て少しづつ高度を上げます。左(南)に壺笠山のピークが近づいてくれば遠見岩(トウノ岩)です。 この先で裳立山への道が右に分かれます。尾根の西側斜面をトラバースして谷へ出たところが箸塚で、二本の谷の間にある尾根を登ると、回峯行を始めた相応和尚の廟が静寂の中に現われます。傍らに慈鎮和尚らの墓もあります。 竹林に覆われた坂道を登れば玉照院の門前。さらに無動寺の境内を進めば、親鸞聖人が修行した大乗院や法蔓院を経て明王堂の前に着きます。南側が開け、ここからは大津市街や瀬田側流域の風景が望めます。弁天堂は法蔓院の下から西へ進めばすぐたどり着けます。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
仰木からの元三大師道〔定光院道〕仰木〜定光院〜元三大師堂(四季講堂) |
*左=仰木の辻ヶ下にある横川への標石(移設された際に方向が間違って役に立たなくなった) *右=琵琶湖の対岸に伊吹山が白く輝く(上仰木から) |
*仰木峠への道の分岐にある立派な標石(傍らに小さなものもある) |
*六躰地蔵尊 |
*左=五社ノ塚 *右=定光院の裏参道入口 |
*堅田・沖島の展望(奥比叡ドライブウェイの琵琶湖展望台から) |
*左=雪の定光院境内 *右=定光院から元三大師堂へ(定光院表参道) |
*左=元三大師堂 *右=元三大師御廟 |
琵琶湖側の堅田から、横川へ向かう道もよく利用されたルートでした。 仰木の辻ヶ下には、大原と並んで横川の文字が彫られた道標があります。また、上仰木の外れには大きな「元三大師道」の標石が立ち、行く手に台地状の横川のスカイラインが望めます。墓地には六躰地蔵尊があって、慧心僧都の作と伝わっています。その先に源満仲ら五代の塚があり、五社ノ塚といわれています。これらは当時の歴史と深く関わっており、隠れた見どころです。奥比叡ドライブウェイを離れて折り返すと尾根道になり、途中に和労堂の跡と「十一丁」石が目につきます。再びドライブウェイに出たところが琵琶湖展望台。天気がよければ、比良山系から琵琶湖・湖東まで、すばらしい展望に恵まれます。 定光院の裏参道入口でドライブウェイと分かれ、少し登れば定光院です。ここは日蓮上人が修行したところで、当時は華光房と呼ばれていました。したがって、このルートは定光院道でもあります。境内は石塔や大きな銅像が目につきます。さらに、階段の定光院表参道を登りきると弥勒ノ辻で、直進すれば元三大師堂(四季講堂)の門前に出ます。おみくじや角大師・豆大師の由来を書いた説明版などがあります。右折し猿ヶ馬場を通れば、元三大師御廟へ行くこともできます。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
瓜生山の童子像〔狸谷山三十六童子めぐり〕狸谷不動尊〜奥之院 |
*三十六童子めぐりの道 |
*左=第一番 こんがら童子 *中=第二番 せいたか童子 *右=第三番 ふどうえ童子 |
*左=第四番 こうもうしょう童子 *中=第五番 むくこう童子 *右=第六番 けいしに童子 |
*左=第七番 ちえどう童子 *中=第八番 しったら童子 *右=第九番 ちょうしょうこう童子 |
*左=第十番 ふしぎ童子 *中=第十一番 あらたら童子 *右=第十二番 はらはら童子 |
*左=第十三番 いけいら童子 *中=第十四番 こくぞう童子 *右=第十五番 ししえ童子 |
*左=第十六番 あばらち童子 *中=第十七番 じけんば童子 *右=第十八番 りしゃび童子 |
*左=第十九番 ほうきょうご童子 *中=第二十番 いんだら童子 *右=第二十一番 だいこうみょう童子 |
*左=第二十二番 しょうこうみょう童子 *中=第二十三番 ぶっしゅご童子 *右=第二十四番 ほうしゅご童子 |
*左=第二十五番 そうしゅご童子 *中=第二十六番 こんごうご童子 *右=第二十七番 こくうご童子 |
*左=第二十八番 ししこう童子 *中=第二十九番 ほうぞうご童子 *右=第三十番 きっしょうみょう童子 |
*左=第三十一番 かいこうえ童子 *中=第三十二番 みょうくうぞう童子 *右=第三十三番 ふこうおう童子 |
*左=第三十四番 ぜんにし童子 *中=第三十五番 はりか童子 *右=第三十六番 うばけい童子 |
*瓜生山の山頂 |
瓜生山は一乗寺と北白川にまたがり、住宅地のすぐ背後にあるピークです。北麓にある狸谷不動から山頂にかけて、三十六体の童子像が祀られています。それらを拝みながら行くと、知らない間に山頂へ達します。途中の厄除坂は、岩が出ていて鎖があります。 道中はよい雰囲気で、樹林も優れています。途中から直接山頂へ登るルートもあり、半日あればいろいろ楽しめます。また、京都一周トレイルのコースだけでなく、山頂へは清沢口・将軍地蔵・茶山・下り松・地蔵谷などから何本もの道が通じています。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
現代の横川本坂〔中尾坂・飯室坂〕飯室谷〜横川 |
*飯室不動堂の入口に立つ「横川本坂」の標石 |
*左=浄刹結界趾(周辺の整備によって移設され、正面が道の左になった) *右=登り口にある元三大師道の標石 |
*暗い樹林の下で目立つ白い道筋 |
*左=谷から離れる地点の道しるべ *右=九十九折れの坂が終わると宿に出合う |
*左=宿の隣にある観音石仏 *右=戒心谷の大規模な石積み |
*横川行者道に出合うと多くの標石が目につく |
*左=北東から合流する妙見菩薩道 *右=道標の位置関係(上の写真の三本の標石が中央左上、妙見菩薩道の標石が右下。横川本坂は左上に合わさる) |
坂本から横川へ向かう信仰の道はいくつもあります。なかでも、最も利用された道は「横川本坂」と呼ばれました。その道筋を検証すると、時代によって変化したことが読み取れます。かつては、日吉大社の北側にある大久保山を経由したのですが、今は飯室谷から横川へ直接登るようにつけられています(大正時代の道は、横川中堂まで坂本から三十四丁)。 不動堂と安楽律院の間を流れる清明谷(晴明谷)の左岸から取付き、支尾根にのって横川行者道へ達します。入口には浄刹結界趾と元三大師道の標石があります。九十九折れの坂を登ると宿(和労堂=休憩所)が迎えてくれ、傍には観音石仏も安置されています。坂の上部には石積みが残り、その付近は戒心谷の諸堂があったものと思われます。林道になった横川行者道に出合えば、いくつもの道標が目につきます。北へ行けば覚超僧都墓から鐘楼へ。南は慧心僧都墓へ行くことができます。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |
京都一周トレイル東山コース〔東山52-1〜東山74〕〔銀閣寺道〜瓜生山〜掛橋〜ケーブル比叡〕 |
*左=「白川石」の橋が美しい北白川天神宮 *右=大山祗神社(地龍大明神) |
*左=白幽子巌居之蹟 *右=三十六童子が現われると瓜生山の山頂も近い |
*左=瓜生山の山頂 *右=曼殊院へ下る道との分岐(No.65、この辺りは山城跡がつづく) |
*左=掛橋(辯財天二ノ鳥居) *右=初夏にはクリンソウの花が迎えてくれる(音羽川) |
*左=音羽川右岸の広葉樹林 *右=「水飲対陣之跡」碑 |
*左=「千種忠顕卿戰死之地」碑 *右=コースが分かれる十字路(「千種忠顕卿戰死之地」碑の上部) |
*ケーブル比叡駅近くのビューポイント |
大文字山から市街地へ下った京都一周トレイル東山コースは、北白川で再び山へ入ります。まず瓜生山へ取付き、一乗寺の山中を掛橋までたどって音羽川を渡ります。水飲対陣跡の碑で雲母坂に合流し、その坂道をケーブル比叡駅まで登ります。トレールコースの中で、最も標高差のある部分です。 大山祗神社(地龍大明神)の先(57-1)で、東側の谷を登る旧コースと瓜生山の山頂を通る新コースに分かれます(60で接続)。旧コースは途中の自然林が美しく、新コースは残された白川石や白幽子巌居之蹟・石切丁場跡などを訪ねます。石川丈山の墓や狸谷不動・身代り不動へ下る道が次々と分かれ、この付近は「北白川史跡と自然の道」(北白川愛郷会)の道標も完備しています。 主な見どころは、北白川天神宮・瓜生山など。そのほか、白鳥越・辯財天道にかかわるものも点在します。そして、『太平記』の舞台でもあります。掛橋と水飲の間は樹林も美しく、雲母坂に入ってからはビューポイントがいくつかあります。 〔※地図は「京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山」(部分)を縮小して使用し、道を加筆しました〕 |
京都一周トレイル東山コース〔東山31〜東山52-1〕〔蹴上〜神明山〜大文字山〜霊鑑寺〜銀閣寺道〕 |
*大文字山(中央)と比叡山(左)を望む〔右手前の尾根がトレイルコース(将軍塚から)〕 |
*左=赤レンガ造りの「ねじりマンポ」 *右=インクライン |
*左=田邊朔郎の銅像近くにある大きなカツラの木 *右=日向大神宮 |
*左=思案処(思案ヶ辻、前方に向かう道が東山コース) *右=振り返れば山科の盆地が広がる(大日山の上りで) |
*左=初夏にはミツバツツジのトンネルがつづく *右=楼門ノ滝 |
*大文字山山頂から東山の尾根と京都南部を見下ろす |
*京都市街の展望(送り火の火床から) |
*左=谷崎潤一郎夫妻の墓(法然院旧墓地) *右=銀閣寺道の交差点に立つ標識 |
京都一周トレイル東山コースは、洛東の山と山麓を歩く見どころの多い道です。前半の、稲荷から粟田口は名所旧跡を縫ってつづく散策路ですが、ここで紹介する部分は山道主体なので山歩きとしてとらえたほうが無難です。日向大神宮で、神明山の山頂を通る旧コースと「天の岩戸」を経由する新コースに分かれます。両コースは思案処(思案ヶ辻)で合流します。 京都市民に親しまれる大文字山は、コースから少し外れています。時間をとって、ぜひ立ち寄りたいものです。また、そのまま送り火(「大文字五山」)の火床へ向かえば、京都市街北部の大展望が待っています。 途中の主な見どころは、琵琶湖疏水の関連施設(発電所・インクライン・「水路閣」・田邊朔郎銅像と墓など)のほか、日向大神宮・楼門ノ滝など。周辺には、京都を代表する社寺や歴史的遺産が点在しています。コースにとらわれず、ご自身の興味や季節に合わせた計画が楽しみの幅を広げます。 〔※地図は「京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山」(部分)を縮小して使用し、道を加筆しました〕 |
比叡山の西国三十三所観音霊場〔横川〕 |
*左=第一番 青岸渡寺 *中=第二番 紀三井寺 *右=第三番 粉河寺 |
*左=第四番 槇尾寺 *中=第五番 葛井寺 *右=第六番 壺阪寺 |
*左=第七番 岡寺 *中=第八番 長谷寺 *右=第九番 南圓堂 |
*左=第十番 三室戸寺 *中=第十一番 上醍醐 *右=第十二番 岩間寺 |
*左=第十三番 石山寺 *中=第十四番 三井寺 *右=第十五番 今熊野観音寺 |
*左=第十六番 清水寺 *中=第十七番 六波羅蜜寺 *右=第十八番 六角堂 |
*左=第十九番 革堂 *中=第二十番 善峯寺 *右=第二十一番 穴太寺 |
*左=第二十二番 総持寺 *中=第二十三番 勝尾寺 *右=第二十四番 中山寺 |
*左=第二十五番 播州清水寺 *中=第二十六番 法華山一乗寺 *右=第二十七番 圓教寺 |
*左=第二十八番 成相寺 *中=第二十九番 松尾寺 *右=第三十番 竹生島宝厳寺 |
*左=第三十一番 長命寺 *中=第三十二番 観音正寺 *右=第三十三番 谷汲山華厳寺 |
西国三十三所観音巡礼(順礼)は、幾内の観音霊場を巡る日本で最も古いものです。その後、坂東や秩父など全国各地に長大なコースがつくられました。 それらの巡礼路は1,000km前後の距離があり、江戸時代の人々にとって、人生における最大の旅であり出来事であったといっても過言ではありません。 しかし、かなりの月日(3〜6ヶ月)と金額(現在の貨幣で100万円単位)を費やして巡ることは、今も同じですが、誰でもできることではありませんでした。そこで全国各地に同様の霊場が開かれ、庶民は身近な巡礼で諸願を成就させようとしました。 横川の境内にも西国三十三所観音霊場があります。この巡礼道は、横川中堂の前から右廻りに、如法塔・元三大師御廟・元三大師堂(四季講堂)・鐘楼を経て横川中堂へ戻ってくるコースで設定されています。それぞれの霊場には本尊の説明や詠歌が記され、全体像をつかむには嬉しい表示です。堂舎域だけのミニ巡礼ですが、横川の特徴や雰囲気を味わえる道としてお薦めです。 (※コースの地図は1:50,000「京都東北部」を背景に使用し、道や地名を加筆しました) |