探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.945【稗田野を歩く】
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左=天保十四年の道標(柿花)  右=桜天満宮
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積善寺の参道
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左=金刀比羅宮・愛宕神社・秋葉神社などの灯籠が並ぶ小祠(奥条)  右=アケビ
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左=シャガ  右=瑞巌寺
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左=廃寺跡への標識  右=廃寺跡への参道
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瑞巌寺(廃寺跡)
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左=旧境内の石段  右=墓石(寛政元年)
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左=タチツボスミレやスミレサイシンなど多くの種類が咲く  右=瑞巌寺と独鈷抛観音の分岐に立つ道標
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左=コバノミツバツツジ  右=廃寺跡に散乱する瓦
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左=大通和尚墓  右=周辺の五輪塔や供養塔
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左=ヤブツバキ  右=宝篋印塔(千手寺)
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左=独鈷抛山千手寺  右=千手寺の山門(裏手から)
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亀岡盆地を見下ろす(遠景左は山上ヶ峰。中央左に小塩山。間の鞍部は老ノ坂。中央右にポンポン山。前を竜ヶ尾山の山稜が重なる)
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左=千手寺の石段  右=参道の道標
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左=試掘跡(?)  右=大谷鉱山跡の水処理施設
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遠景左は地蔵山。中央が愛宕山(前に牛松山が重なる)
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左=桜天満宮と独鈷抛山の道標(鹿谷)  右=レンゲソウ
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左=稗(正しくは草冠に稗)田野神社  右=スミレ(白花)
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 稗(正しくは草冠に稗)田野(ひえだの=亀岡市)は興味深い地域で、「京都再発見」の講座でもこれまでに行者山朝日山などへ登ってきた。山麓や山中に点在する千手寺・龍潭(りょうたん)寺・神蔵(じんぞう)寺など趣きある寺院も多い。まだ訪れたことがないエリアを中心に、新緑の風景を楽しもうと桜天満宮から瑞巌(ずいがん)寺(廃寺跡)を経て稗(正しくは草冠に稗)田野神社まで周回した。
 篠山街道が通る柿花に古い道標があり、落ち着いた旧道が参道入口に向かって曲線を描く。石段を覆う木々の緑が美しい。積善(しゃくぜん)寺境内の一角に桜天満宮が祀られ、「京都府の石」に選定された桜石の説明板が立っていた。付近の山中に眠る鉱物(菫青石仮晶)で、堆積岩が熱変成を受けて生成されたものである。一帯は天然記念物に指定されているため、採取することはできない。下に載せた写真は、私が中学生の時に別の場所で採集したもの。サクラの花は5弁だが、6弁の結晶である。変成岩のホルンフェルスは大文字山でも見られる。
 湯の花温泉へつづく篠山街道を渡って奥条に入ると、龍峰山瑞巌寺が山裾にあった。説明によると、享徳元(1452)年に大通和尚の開創とされ、元は背後の娑婆(さば)山にあった。昭和35(1960)年に現在地へ移築される。廃寺跡へ向かう道はよく掘り込まれ、一部で竹が倒れていたもののなかなかよい雰囲気だ。独鈷抛(とこなげ)山千手寺へ向かう道の分岐の先に平坦地が広がっていた。山門跡から奥が境内だったようで、竹林に囲まれ石垣や墓石が認められる。一番奥に大通和尚の墓が覆屋の中にあった。
 尾根を回り込んで千手寺の墓地に入ると、江戸時代(塔身)の宝篋印塔が立っている。石材や形を見ると、相輪・笠・基礎・基壇は古いもののように思われる。山門前からの景色もよかったが、稲荷社から一段上に登ると山門を入れた展望が広がっていた。道標を頼りに旧参道を降って鹿谷(ろくや)へ出る。スズやタングステンを採掘していた大谷鉱山の痕跡は、坑排水処理場ぐらいだろうか。かつて鉱物を採集したズリの跡さえわからなかった。レンゲソウが咲く田園風景を眺めながら稗(正しくは草冠に稗)田野神社まで歩く(2024.4.16)。
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桜石(菫青石仮晶)
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大谷鉱山で採集した孔雀石
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