稗(正しくは草冠に稗)田野(ひえだの=亀岡市)は興味深い地域で、「京都再発見」の講座でもこれまでに行者山や朝日山などへ登ってきた。山麓や山中に点在する千手寺・龍潭(りょうたん)寺・神蔵(じんぞう)寺など趣きある寺院も多い。まだ訪れたことがないエリアを中心に、新緑の風景を楽しもうと桜天満宮から瑞巌(ずいがん)寺(廃寺跡)を経て稗(正しくは草冠に稗)田野神社まで周回した。 篠山街道が通る柿花に古い道標があり、落ち着いた旧道が参道入口に向かって曲線を描く。石段を覆う木々の緑が美しい。積善(しゃくぜん)寺境内の一角に桜天満宮が祀られ、「京都府の石」に選定された桜石の説明板が立っていた。付近の山中に眠る鉱物(菫青石仮晶)で、堆積岩が熱変成を受けて生成されたものである。一帯は天然記念物に指定されているため、採取することはできない。下に載せた写真は、私が中学生の時に別の場所で採集したもの。サクラの花は5弁だが、6弁の結晶である。変成岩のホルンフェルスは大文字山でも見られる。 湯の花温泉へつづく篠山街道を渡って奥条に入ると、龍峰山瑞巌寺が山裾にあった。説明によると、享徳元(1452)年に大通和尚の開創とされ、元は背後の娑婆(さば)山にあった。昭和35(1960)年に現在地へ移築される。廃寺跡へ向かう道はよく掘り込まれ、一部で竹が倒れていたもののなかなかよい雰囲気だ。独鈷抛(とこなげ)山千手寺へ向かう道の分岐の先に平坦地が広がっていた。山門跡から奥が境内だったようで、竹林に囲まれ石垣や墓石が認められる。一番奥に大通和尚の墓が覆屋の中にあった。 尾根を回り込んで千手寺の墓地に入ると、江戸時代(塔身)の宝篋印塔が立っている。石材や形を見ると、相輪・笠・基礎・基壇は古いもののように思われる。山門前からの景色もよかったが、稲荷社から一段上に登ると山門を入れた展望が広がっていた。道標を頼りに旧参道を降って鹿谷(ろくや)へ出る。スズやタングステンを採掘していた大谷鉱山の痕跡は、坑排水処理場ぐらいだろうか。かつて鉱物を採集したズリの跡さえわからなかった。レンゲソウが咲く田園風景を眺めながら稗(正しくは草冠に稗)田野神社まで歩く(2024.4.16)。 |