神楽坂は原(南丹市美山町)と下佐々江(南丹市日吉町)を結ぶ高浜街道(「西の鯖街道」)の峠だ。西方には海老坂があり、東方は知谷峠が中央分水嶺に位置する。どちらも「京都再発見」の講座で既に越えており、今回は原峠(新神楽坂)とつないで歩く予定である。 室町時代の文明5(1473)年、この一帯の村々では火災が頻発していた。折りしも、道祖神社(宮脇)の例祭において神託があり、それをもとに愛宕明神を拝する場所を求めて神楽を奏し祈願したところ、火難が鎮まったという(『北桑田郡誌』)。かつて、この峠には鳥居が建ち神楽堂もあって、長い年月にわたって継承されてきたらしい。いまは、下佐々江側の斜面に二体の首無し石仏が認められるだけである。南側に広い空間が残る。 時間があるので、稜線の西にある釜糠(かまぬか=綾ノ段・綾嶺・スムギタニ・ニシノダン)のピーク(二等三角点、点名=板橋村)を往復する。丹波らしい気持ちのよい雑木林の山頂だった。昼食後は丹波広域基幹林道で原峠(新神楽坂)まで行き、中佐々江に向けて南面の谷の右岸山腹を降る。高浜街道との合流点には小さな石の道標があった。 下佐々江の三叉路から神楽坂トンネルに向かうと、すぐ右手に五条大橋の橋桁と橋脚を利用した門〔説明板では、天正17(1589)年に豊臣秀吉によって建造〕があり、敷地内に石造物が点在していた。時間があるので、殿田街道を四ツ谷(よつや)めざして進む。東ヶ谷では夢窓国師が座禅をくんだと伝わる国師岩に立ち寄った。ちょうど田原川が屈曲する地点で、岩によって水流が折り返している。周辺はのどかな農村風景が広がっていた(2023.12.19)。 |