「街道ウォーキング」で、京街道(大坂街道)の楠葉(くずは=枚方市)から石清水八幡宮一ノ鳥居(八幡市)まで歩いた。昨年から始まった京都へつづく街道歩きの講座である。東海道・中山道の大津宿から三条大橋はすでに終えている。 高麗橋から守口宿・枚方宿を経て、楠葉へつながる街道は淀川の左岸を北上する。旧国道1号(府道13号)と京阪本線が並行しており、堤防下にある町楠葉は落ち着いた町並みが残る。 久親恩(くしおん)寺を過ぎると楠葉台場跡史跡公園で、広い平面にその構造や番所の位置が理解できるよう説明版が立っていた。大谷川を濠として巧みに利用している。入口(見張台)近くに移設された大きな標石があり、三宅清治郎によって建立(「三宅安兵衛依遺志建之」)された。京都府外では珍しい。大正12(1913)年から昭和5(1930)年にかけて、浜田青陵博士(京都帝国大学教授)の協力を得て、京都府内の山城地域を中心に400基以上が設置された(参考=No.745「飯岡丘陵」・No.455「巨椋池の痕跡を求めて」)。 河川の整備と関係するのか、現在は橋本(八幡市)にかけて各所で工事が行なわれている。津田電線踏切で京阪本線を西側に渡ると橋本の町に入る。かつての遊郭を彷彿させる家並みがつづく。中ノ町の三叉路で左折すると大谷川に架かる思案橋で、対岸の山崎へ渡る船乗り場の道標が残っていた。堤防に上がると島本から大山崎方面の山なみが目の前に横たわる。河口から35キロメートルの地点である。 戻って東に向かい、西遊寺の前を「橋本」駅に行くものの「橋本渡舟場三丁……」「京大阪街道 右八幡御幸橋八丁/左樟葉八丁……」の道標は撤去されていた。これも三宅清治郎による建立〔昭和2(1927)年〕。同氏銘の道標は八幡市内に69基あるという。工事の終了後は戻されることだろう。なお、中ノ町の三叉路にあった明和4(1767)年の道標が見当たらない。 北ノ町へ進むと、狩尾(とがのお)から石清水八幡宮へ向かう道が右に分かれる。この三叉路には、渡し場や八幡宮を示す道標が残っていた。右手に八幡宮の常夜燈が立つ。 大谷川を右岸に渡ると「二宮忠八飛行器工作所跡」の案内板があり、「カラス型飛行器」の製作を始めたところである。堤防には、以前はクスノキの巨木(大楠大明神)があったが、背割堤に移植されたらしい。八幡科手(しなで)の町並みを通り過ぎると、御幸(ごこう)橋が左手に見えてくる。木津川・宇治川を渡って街道は淀へ向かう。 「石清水八幡宮」駅から一ノ鳥居をくぐると、頓宮(とんぐう)の東側に安吾(あんご)橋が架かる。この付近の大谷川を放生川と呼ぶ。八幡宮の放生会が行なわれる場で、三宅安兵衛遺志碑も立つ。東高野街道につながる道の四角には、宇治や京都を示す道標があって、八幡行宮阯の標石も認められた。 飛行原理を発見した二宮忠八が、自邸に創建した飛行神社を参拝したのち観光案内所前で行程を終える。パンフレットのスタンドには、詳細な「京街道ウオーキングマップ」(歴史街道推進協議会)が置いてあった(2026.1.20)。 |