大峯奥駈道の5回目として、一ノ垰(たわ=第五十七靡)から釈迦ヶ岳(第四十靡)まで歩いた。第五十八靡(なびき)の行者還(ぎょうじゃがえり)と第三十九靡の都津門(とつもん)は既にトレースしており、今回はその間をつなぐ。弥山・八経ヶ岳など大峰山脈の中心エリアである。何より標高が高く、構成する要素は岩場や樹林・草原など変化に富んですばらしい。紀伊半島の中心に位置することも魅力を高める。そのため、天気を第一に考えて日程を決めた(「行者還岳」/「釈迦ヶ岳から前鬼へ」)。 上北山村・西原から国道309号に入ると、ナメゴ谷が眩いほどの新緑に包まれている。周囲の景観に癒されながら行者還トンネルの東口に着いた。論所ノ尾に取り付き、一ノ垰(多和)で大峰山脈の主稜に達する。トンネル西口からの登山道が合流すると人の姿が増えた。石休宿(いしやすばのしゅく=第五十六靡)と弁天ノ森(三等三角点。点名=聖宝)を経て講婆世宿(こうばせのしゅく=第五十五靡)まで緩やかな道がつづく。すぐ西側に、当山派の僧で奥駈けの祖とされる理源(りげん)大師坐像が残る。急坂を折り返しながら登ると弥山小屋の前に着いた。頂上の弥山弁財天社(弥山神社)と国見八方睨(道標は国見八方覗)で、ゆっくり周囲の山々を眺めて過ごす。 翌朝も強い風が吹き抜けるものの、時間とともに気温も上がるだろう。徐々に青空も広がり始めた。最高峰の八経ヶ岳(仏経ヶ岳=第五十一靡)から明星ヶ岳(第五十靡)を経て稜線の西側斜面を降る。第四十九靡の菊ノ窟は遥拝所に碑伝(ひで)が置かれる。ただ、実際の窟がどこかはいまだに特定されていない。10年ほど前のテレビ番組(「修験道 “発祥の地” 幻の修行場」=NHK総合)で「発見」とされた場所も異論があるらしく、最近でも “You Tube” に各種リポートが発表される。 禅師ノ森(ぜんじのもり=第四十八靡)・五鈷嶺(ごこのみね=第四十七靡)も場所が明確でなく、舟ノ川源流の脆く急峻な地形が検証を難しくさせている。近世は今よりもっと下部をトラバースしていたとされ、崩落とともに道がだんだん稜線に近づいてきた。「五鈷嶺」の標識がある岩峰と岩頭の間を抜けると穏やかな地形に戻る。船ノ多和(第四十六靡=舟ノ垰)から楊子ノ宿(第四十四靡)を経て、仏生ヶ嶽(第四十三靡)・孔雀岳(第四十二靡)の間は尾根の少し下(西面)を通ることが多い。途中に「鳥の水」が湧いていた。 孔雀覗は東側に雄大な風景が展開する。眼下には極楽ノ東門と呼ぶ岩場がある。周辺の岩頭は「五百羅漢」「十六羅漢」と称す。前鬼川流域の彼方に池原ダムの貯水池が青い。鐺(こじり)返しの岩場を過ぎると、両部分け(螺摺り=かいすり)・椽ノ鼻(えんのはな)・空鉢(くうはち)岳(第四十一靡)などが息つく暇もないほどに連続する。椽ノ鼻の蔵王権現像は、釈迦ヶ岳の釈迦如来立像と一緒に強力の岡田雅行(おかだ まさゆき)氏が担ぎ上げたものという。「杖捨て」の岩場を登り、馬ノ背を通過すると釈迦ヶ岳に辿り着いた。四周の眺望を楽しんでから、歩きやすい道を古田ノ森を経て太尾(ふとお)登山口に降る(2025.5.4〜5.5)。 |