山名は、古く神宮寺が営まれたことにちなむ。八王子山より神宮寺趾に立ち寄り、悲田谷に向かう飯室谷回峯行の急坂が大宮川を高巻くようにつけられているが、山頂には立ち寄らない。
この日吉神宮寺は、伝教大師最澄の父である三津首百枝が、香しい薫に誘われるままに登りつめ、「叡岳左脚神宮右脇」として草庵を結んだのが始まりといわれている。今はそれを示す石碑と小祠(奥総社)が祀られているにすぎない。
この付近は日吉大社と延暦寺の境界を示す標石が複雑に入り組み、尾根上の道にも各々を示すいくつもの石が見いだせる。これは、明治時代に排仏毀釈の嵐が吹き荒れた時に再編されたものだという。また、西本宮近くにある石造宝塔も、その一角だけは延暦寺の飛地境内となっており、神仏一体となった古い関係を物語っている。 |