西面の谷を水井谷と呼び、山名もそれに基づくものと思われる。
北側の仰木峠と峰道が通るせりあい地蔵との間には、戦前まで明瞭な道がなく、主稜線に登山路が開かれたのは比較的新しい。北山クラブのレポート集『京都北山1』〔1967(昭和42)年〕でも、水井山については「(水井山の)尾根筋はブッシュがひどい」と記されている。
近江と山城を結ぶ峠道や修行の道、八瀬・大原から横川に通じる参詣道(元三大師道)などは、この山を直接登らない形でつけられており、比叡山の峰続きでありながら、それらから独立した山といえるだろう。
山名は明治時代の地形図にも既に記載されており、人々からはっきりと認識されていたことが推測できる。 |