明治時代の「大原村志」(『旧京都府愛宕郡村志』)では、比叡山系の山岳として大山・柳ヶ谷山・大原山(小野山)・平見山・相谷山・小出石山が記載されており、上から三山は叡山に連なり滋賀県との境界にあることを指摘している。
山系に関連ある字名を上げると次のようになる。
戸寺=相谷・仲の池・亀甲谷・水の元・北稲葉
上野=上畠・亀甲谷・稲荷
大長瀬=上畑・大長瀬
来迎院=宮の前・来迎院南谷・坊の上・来迎院北谷
勝林院=北手・聖谷・上利谷・小瀧・来迎院谷・上北手・瀧ノ裏・柳ヶ谷
小出石=宮ノ下・上出・北前田・小出石谷・堂ノ後
以上のように、直接「小野山」に結びつく名称はないが、『山州名跡志』によれば「来迎院の東の山をいう、和歌に炭竈を詠ず、昔はここにおいて炭を焼きし」として、歌によく詠まれたことを指摘している。
「小野山の上よりおつる滝の名は音なしにのみぬるる袖かな」(『夫木抄』)など、音無ノ滝(小野ノ滝)と小野山は切ってもきれない関係にある。
片や近江側では、特定の峰を指すものではないものの、北側より高日山・奥山・岩ヶ谷山と呼ばれてきたことが「仰木村誌」(『滋賀県滋賀郡誌』)から読み取れる。
高日山は高日山寺にちなんでつけられた名前で、比叡山の「回峯手文」では「高比虚空蔵」として伝えられている。ここは、最澄が比叡山に寺院を建てることを発願したとき、比叡山北方の山中に日輪が見え、千手観音と虚空蔵菩薩が現われ、願いを叶えると告げられたことから名づけられたとしている。そして、自ら二体の仏像を彫り延暦寺を創建した。現在、平尾(仰木)の虚空蔵堂にある仏像は高日山寺の本尊の一つであるといわれている。また同寺は、後に慈恵大師良源も入って星林院と名のったようである。
この山より東流する川には、月谷川・打合川・宮後川・宮川・北谷川・南谷川・宮城川があると「仰木村誌」に掲載されているが、現在の河川名との照合ができておらず今後の課題としたい。 |