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*以下の山名・地名考は、「比叡山系を歩く」(2003年)より抜粋して掲載しています。
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ran04_1_1t おおびえ(大嶽・天台山・大嵩)   848.1m

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亀塔 雲母坂
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*左=亀塔 右=雲母坂より京都市街を見下ろす
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  比叡山系の主峰であるこの山は、西に隣接する四明ヶ岳(838m)とともに、800mを越す標高を有し、とくに山城側から仰ぐと、京都市街の北東に二つのコブをもつ特徴的な三角錐の山容を聳えさせている。なかでも、山麓の修学院あたりから望む比叡山は、山をめざす人々の登高意欲をかきたてる(大比叡は見えない)。
 江戸時代の地誌である『近江輿地志略』には、「皇都の艮岳にして皇城の鬼門を鎮護す」と記され、『拾芥抄』や『拾遺集』など18点もの例を引き合いに出して、その山名の解説を行なっている。
 山上一帯は大正時代より開発され、山登りの対象としてより、行楽や観光地として人々を集めた。1958(昭和33)年の比叡山ドライブウェイ、さらに1966(昭和41)年の奥比叡ドライブウェイの開通により、その傾向はいっそう強まった。
 だが、比叡山に行くことはあっても、この最高峰まで登った人はかなり少ないと思われる。最近でこそ、標識が付けられてめざす人の数は増えているものの、私がまだ駆け出しの頃(昭和40年代)には、三角点の標石だけがたたずむ静かな山頂であった。
 ここには一等三角点(補点)が埋設されており、比叡山系では一等はここ一箇所しかなく、北側は比良連峰の蓬莱山(1174.3m)に本点が置かれている。
 この峰の北の肩には、雲母越(水谷越)が通っており、修学院(京都市左京区)と延暦寺(東塔)、そして坂本を結ぶ重要な道であった。雲母坂(勅使坂・西坂)は、そのうち比叡山から山城側の坂を指す名称であり、現在でも最も利用される道である。
 そのほか、『近江輿地志略』には、「坂本より国界に至って三里、国界より京に至って一里半なり。この路比叡山水飲の地をすぐる故にこの名を呼べり。小径なり」として水呑越(水飲越)が記載されている。この水飲の場所が問題であるが、雲母坂にある「水飲対陣之跡」碑が建つ付近を呼ぶ地名(上ノ水飲)であることから、一般に水飲越と雲母坂が同一のものであるとされている。しかし、「山城國全圖」〔元版=1778(安永7)年〕など、江戸後期から幕末にかけての絵図には雲母坂と水飲越は区別されており、検討の余地があるのではないだろうか。『大日本地名辞書』(第2巻)にも「雲母坂の絶頂は山城近江の国界にして水飲と字す、元享釈書に皇慶法師ここに一亭を置き降陟の人に湯を供したること見ゆ」として、峠付近に水飲をあてている。
 ちなみに、「下ノ水飲」は赤山社の北、地蔵脱俗院のあたりにあると延暦寺関係の古記録にあり、これから詳しく検証してみたい。

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