熊野古道中辺路で最後に残った区間が、三栖(みす)王子から稲葉根王子までの丘陵地だった。半日あれば歩けるので、帰宅する日の午前中に行くこととする。左会津川から峠を越えて富田川(古くは岩田川)に出るのは、口熊野の山中を源頭に持つこの川が重要だったからである。河畔で水垢離をして本宮大社へ向かったらしい。中世の熊野行幸はこの道を利用している。だが、江戸時代になると潮見峠を越えるルートが主に使われた。 潮見峠から田辺市街は既に歩いているので、下三栖から出発する。入口に報恩寺(善光寺)があり、樹齢350年とされるソテツが立派だ。ここも、境内にミニ西国三十三所めぐりの巡礼道がある。斜面を登ると、梅林が広がり三栖王子跡があった。眼下には左会津川が流れ、対岸の遠方は長尾坂から潮見峠へつづく山なみが見える。 岡峠を越えて三栖谷峠に来ると、南方熊楠(明治時代の博物学者)が写真を撮ったという説明板が立っていた。岡区有林の境界標石から降って、新岡坂トンネルの出口を経て八上神社(八上王子跡)に参拝する。岡川に沿って次の南方曼荼羅の風景地に向かい、田圃に囲まれた田中神社を一周する。古くは周囲が湿地だったらしく、大賀ハスが咲くという。鳥居の横には熊楠によって命名されたオカフジが蔓を伸ばしていた。 深見の集落から山道を100mほど登ると、植林地に竹林が混ざるようになって稲葉根王子へ出た。前方は広い川幅の富田川で、一ノ瀬の渡し場跡である。上流の鮎川新橋(旧大塔村)には、鮎川王子跡と大塔宮劔神社(川向い)の石碑が立っている(2022.3.1)。 |