白川の御領山に関連して、かつて歩いたエリアを再確認するため新田川左岸の尾根を中心に歩いてきた。先日の《「白川大松」を探して》に引きつづく探索である。 西村四郎左衛門によって開かれた新田(しんでん)には、私が中学生の頃まで数軒の家があった。その頃の新田川沿いには、軽車両の通れる道があって新田街道とも呼ばれていた。比叡平(大津市)の住宅地はまだなく、各所で造成が始まったばかりである。比叡山系の魅力をまとめようと足繁く通った時期を除いて、年月が経っているため現況を知りたいとも感じていた。 この日は第三番目の「白川大松」候補地から支尾根を下ると、広々とした谷の合流点に出た。「北白川本領之圖」でも何箇所かそのような場所があり、池や集落の名前が記されている。あらためて気づいたのは、絵図に描かれているとおり数多くの道が張り巡らされている事実である。領内の山は、どこも歩きやすかったのではないだろうか。 先日のコースと重ならないようルートを変え、気になる場所を押さえて周回する。北白川御殿の領地だと思っていたエリア内で、別の境界標石があるのも発見だった。かつて確認していた雨量計がそのまま尾根に残っていたり、よく踏まれた古い道も状況に変わりはない。最後に、新田の痕跡でもないかと道路の末端まで見に行ったが、川縁まで自然林があるのは限られていた。大半は囲われた作業場やグラウンドなどの施設が広がるばかりである(2022.1.3)。 |