以前から探索している御領山(白川)。「北白川本領之圖」の気になる地点を特定したいと、時間のある時に継続して歩いている。なかでも「白川大松」は、ぜひ解明したい場所だ。図中には「ししがたに浄土寺/おかざき白川さかい」と記されているので、現在の地域名・字名から判断すると三箇所に絞られる。 一つ目は雨社大神から新田川(「北白川本領之圖」では「ひかししら川」)へ流れ出る谷との交点で、斜面に埋もれていた標石が起こされ立っていた(1枚目の写真)。現況は北白川・粟田口・鹿ヶ谷の境界である。二つ目は大きな標石を確認している場所で、緩やかに開けた谷の向こうに比叡山が望める。初めから重視しているところ(2枚目の写真)。三番目はそこから西へ約400mにある支尾根との交点で、現在は浄土寺広帖(こうちょう)町・北白川南ヶ原町・鹿ヶ谷菖蒲谷町との接点にあたる。今も支尾根を下る道が明瞭に残る。どこも、標高370m〜390mの山腹で、標石が残存することから境界地点に間違いないだろう。池ノ谷地蔵尊からつづく道は、一色刷の50,000図時代から描かれていた。 いま、「熊山」「子熊山」と呼ばれる尾根か西側の石部(いしぶ)谷との間に、絵図では「ほなが山」があって上部は「永尾」と記されている。近くの谷名は、下流から「めがね松谷」「大ますの谷」「ふる別当たに」「さび谷」「しやひたに」が見える。ただし、本流の谷を表すものではなさそうである。花崗岩質の白い谷筋には、ナメ床やナメ滝があって美しい景観を呈する。水道局の北白川貯水槽があるところで白川本流に合流する谷はなんという名前なのだろう。 白川(本流)左岸の一本下流は石部谷で、左岸尾根の末端が石切場跡のように見える。露岩の下が広い平坦地になっており、稼業の跡と思われる。ただ、本流筋には戦後まで水車を利用した製粉所が何軒かあり、それに関係する設備だった可能性も高い。 よく踏まれた石部谷の道を遡り、中尾城跡へ向かう谷から尾根に上がる。反対斜面の太閤岩に寄って、銀閣寺町の八神社へ下山した。久方ぶりに見上げた岩の上部がコンクリートで固められ、あまりの変貌ぶりに驚く(2021.12.25)。 |