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このところつづけて大文字山付近を歩いており、気になっていた事柄を再確認しておこうと古い資料などを引っ張り出してみた。 北白川にあった照高院は、江戸時代(初期)には広大な寺領を有していた。明治時代になると、北白川宮(初代:智成
親王)の御領山として自然環境が保たれ、宮家が東京へ移転された後は北白川天神宮の山として引き継がれている。「志賀の山越」(山中越)が通る白川本流を中心に、一乗寺・山中(大津市)・比叡平(大津市)・池ノ地蔵・大文字山を境界とする内側がエリアに該当する。 なかでも、大文字山北面の尾根と谷は自然林が残され、この山域ではもっともすばらしい景観が展開する。上に記載の「北白川本領之圖」(複写)は、描かれた時代が特定できないものの、『旧京都府愛宕郡村志』(白川村)とかなりの割合で比定でき、往時の様子を知る大きな手がかりになっている。 これまでに、浄土寺広帖(こうちょう)町と鹿ヶ谷菖蒲谷町に接する場所で「白川 従是御領山」と刻まれた標石を11基確認している。その位置の特定もしておきたいと出かけてみた。あらためて見ると、地形によって大きさと形状の違うことがわかる。なかでも、谷の源頭は重要なのか、立派な標石が設置されていた。下の写真は境界付近で見られる如意ヶ嶽城跡の遺構で、白川を見下ろす場所として優れている。 もう一つ重要なのが歴史的な地名の復活である。最近では、“Google Maps” に熊山が記載され、他にも私的な名称がインターネットで拡散している。わかって使う分には差し障りないものの、それが公称として流布すると問題は深い。地元の『北白川愛郷会』などで、ぜひ取り組んでほしい活動だ。現地につけられた「熊山」「出逢坂」など、絵柄の入った標識から近くの幼稚園か子供の団体による呼び名かと思っていたが、最近になって「昭和のハイキングブーム」に用いられた呼称だと知った。いつのブームかわからないが、それなりの経緯があるようだ。使うなら、「熊山」とすべきであろう。 個人的な関心事として、絵図にある「白川大松(ししがたに浄土寺/おかざき白川さかい)」「しやひたにむら」「ほなが山」「きよ水山」「ゆり」などが解明できないものかと思っている (写真=2021.1.15)。 |
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尾根筋に開ける曲輪 |
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明瞭に残る土塁 |
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