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東山山頂公園の外れに、山縣有朋の記念樹を示す道標がある。同種のものは、高台寺山に立つ伊東博文の石碑(No.178「東山の巨大石碑」)や円山公園への道沿いにもあり、主に寺院名が彫られている。ところが、この標石は北東面に「右 山縣公紀念樹/高臺寺」*とあって、東山を案内しつつ環境を守る活動を後世に伝え、顕彰するねらいがあったのではないだろうか。 国有林や京都の史跡などを紹介する文献・資料を探したが、記念に植樹された樹木は出てこない。今となっては、完全に忘れ去られたものと言わざるを得ず、明治時代の人々の思いが継承できないかと感じている。南東面の文字は「左 清水寺」。井上馨の石碑へ向かう現在の道とは、方向が微妙にずれている。古い道標は、対面して理解できるものだけに釈然としない。あるいは、ここから記念樹と高台寺へ道があったとも考えられる。ただ、傍らの木が大きく剪定もなされているので、関係するものかもしれない。菊谷川から伊東博文の石碑にかけても、よい雰囲気の樹林が広がっていて巨樹も目立つ。残念ながら2018年の台風で多くの木が倒れ、今も森林管理署による倒木の整理復旧作業がつづく。どこかに、裏付けられる樹木が現存することを願うばかりである。 この標石について、京都市の「京都のいしぶみデータベース」では中井三郎兵衛(慈眼)の建立とされ、伊藤博文碑の除幕の際に山縣が植樹したのではないかと推測されている(撮影=2021.4.14)。 *=「/」は改行を示す。 |
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