探山訪谷[Tanzan Report] |
No.178【東山の巨大石碑】 |
左=井上馨(世外)碑 右=伊藤博文 (春畝)碑 |
京都一周トレイル東山コースからもよく見える井上馨(世外)碑 |
東山山頂公園の近くに、井上馨(号世外= 1 8 3 5〜 1 9 1 5)の碑がある。つい近年まで薮に埋もれていたが、付近が整備されて存在が誰の目にも明らかになった。詩文は以下のとおりである。 山水増光 (印)(印)【印文「邦彦王章」「泰山」】【以上篆額】 天懸海外三千界 月満人間幾百州 侯爵井上世外(印)(印)【印文「侯爵」「井上馨之印」】 また、菊谷川左岸尾根の地主神社へ下る分岐の西側に伊藤博文 (号春畝= 1 8 4 1〜1 9 0 9)の碑もある。 詩以可興(印)【印文「邦彦」】【以上篆額】 追懐往事感無窮三十三年夢寐 中顔色威容今尚記名声輿望 古誰同蕭曹房杜忠何比蜀相楠 公義暗通墓畔題詩新緑桜山 鵑叫尽血痕紅 祭松菊公墓 博文(印)(印)【印文「萬古雲霄一羽毛」「勲業頻看鏡行蔵独倚楼」】 それらに関わった人物が中井三郎兵衛(慈眼=1851〜1932)だ。明治時代の実業家で、三条東洞院で和洋紙問屋「中井商店」を営み、市会議員や府会議員も務めた。新島八重ともかかわりがあった。観光都市として京都を発展させるため、景観の保護に尽力したとされる。大日堂の建立も氏の志を反映している。こうした先人の思いが凝縮された東山は、京都の美を象徴するエリアであり、いつ行っても心やすらぐ。 石碑に関する詳しい内容は、「京都のいしぶみデータベース」で。 |
中井三郎兵衛(慈眼) |
左=大護摩堂建立のため、大日堂は閉園中(2014年5月現在) 右=尊勝院から望む市内と愛宕山(左) |
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