昨秋に仙人谷ダムから欅平まで歩いて、旧日電歩道が気になった(→水平歩道を歩く)。若い頃に、「黒部の父」と称される冠松次郎の文章から多くの刺激を受けた。大正時代に始まる記録と地域研究の情熱は生涯途切れることなく、沢登りを志向するきっかけを与えてくれた。黒部川流域にも足を運んだが、その後は未知の山域や水系が活動の中心になった。当然、登山道で行ける十字峡はあとまわしになる。しかし、ハードな山行はそろそろ実施しないと悔いを残す結果になりかねない年齢となった。そこで2年つづけて繋ぐことにする。 本流に対して支流が直交して合流する十字峡の地形は珍しい。国内では、黒部川と三国(さぐり)川(新潟県)の二箇所が知られている。もちろん、下ノ廊下のスケールある造形美も魅力で、いつ通れるようになるのか情報をチェックする日々だった。 今冬は降雪が少なかったので、本流筋での残雪はほとんど目にしなかった。だがルートの整備には時間がかかり、先日やっと開通したばかりである。しかも、コロナ禍の影響で阿曾原温泉小屋は営業されず、テントを持参するほか術がない。訪れる人の数は少ないと予想した。 前日に黒部湖畔のロッジで宿泊し、午前6時に出発。黒部ダム(くろよん)の堰堤から地下の駅を通ってカレ谷出口へ。この日は、テレビ番組の撮影チームのほか単独行の三人と前後しながら歩く。丸山の東面下部がスラブと廊下状になったところで、持参のヘルメットを被る。大タテガビンの裾を行く頃から廊下が現れ、核心部に入ったことを実感。黒部別山谷は飛び石で渡る。十字峡の吊橋手前で矢印に導かれると左から剱沢が本流に合流し、右からは棒小屋沢が注ぐ。きれいな十字を描いていた。半月沢出合に造られた桟道は傾いて通れなかったが、壁際のフィックスロープで難なく通過する。阿曾原温泉小屋のご主人によると、近いうちに補修工事がなされるという。S字峡の景観もすばらしく、右岸に渡ったのち仙人谷ダムの堰堤で再び左岸へ戻る。阿曾原温泉小屋には7時間で着き、ゆっくり温泉で寛ぐことができた。夕方には、朝一番のバスで黒四を出発した方や仙人池・欅平からの人たちでテント場が埋まる(2020.9.29)。 |