桜井市出雲からダンノダイラ(段ノ平)へつづく道を調べようと、地福寺の前から山手の道を西に進む。山麓の開けた中坊(小字)に、万葉集の巻頭で記される歌碑(伝承地)が道の傍らにあった。雄略天皇の作とされる。遠く、金剛山や葛城山がスカイラインを描く。 棚田が終わって山へ入る地点にゲートがあって、車でなく歩いて登るよう表示してあった。この付近を山ノ神といい、勾配のある道路が延びる。谷筋は傾斜が急で露岩や転石が多い。 植林帯から明るい雑木林になると、緩斜面になって先週見たダンノダイラの説明版へたどり着いた。上部の水源を確認したく、そのまま谷沿いをルートにする。ルンゼ状の不安定な箇所には、ロープがフィックスしてあった。尾根に出て共聴アンテナが建つピークを過ごすと、巻向山と奥不動寺をつなぐ道路と出合う。ピークの南側から山道を東に進み、途中から頂上をめざす。 高山(こうぜん)神社方面に進み、500メートルほど行った左手の磐境(「白石の神域」)に立ち寄る。水神坐水沼社(すいしんいますみずぬましゃ=水神社)が下の谷筋に鎮座する。巻向山へ戻り、奥不動寺から黒崎に下山した。 時間があるので、外鎌(とかま・とがま)山(忍坂=おさか=山・「朝倉富士」)で奈良盆地を眺めようと初瀬街道(伊勢本街道)を西へ向かう。途中に朝倉村道路元標があった。 「大和朝倉」駅前から朝倉台の住宅街を通り抜け、給水塔手前の登山口(五合目)から竹林を登る。落ち葉を踏みしめながら進むと、外鎌城(戸賀間城)の跡とされる石垣が現れた。南北朝時代もので、戒重(開住)西阿(かいじゅうさいあ=高階勝房)によって築かれたという。氏は南朝方の武士で、戒重・河合・赤尾など桜井周辺に六つある城のひとつとされる。 頂上には倒れた墓碑があって、その歴史を伝えている。南朝・北朝両軍の動向や当時の景観を想像しながら、傾き始めた陽光で赤みを帯びた大和(初瀬)川流域を眺めた(2025.12.28)。 |