一年前に普甲峠(元普甲道)を歩いて、関連する付近の道も気になっていた。そこで、宮津街道(今普甲道)と毛原峠を周回しようと、「大江山口内宮(おおえやまぐちないく)」駅を起点にまず宮川流域へ向かう。鬼ヶ茶屋付近は二瀬(ふたせ)川渓谷に寄り道し、その後は旧道で普甲峠へ。寺屋敷から辛皮(からかわ)へ降りたのち、毛原(けはら)峠を越えて出発地点に戻る予定である。 大江町佛性寺(福知山市)は、かつて上流に河守(こうもり)鉱山があったとは思えない静けさに包まれていた。大江山一帯には他にも鉱山があって、輸送を担う北丹鉄道が由良川沿いを走っていた。酒呑童子の里として、今は「鬼」をキーワードに地域づくりがなされる。橄欖(かんらん)岩・蛇紋岩の転石に覆われた宮川の谷筋は、大小の岩で埋め尽くされ独特の景観を見せている。「強羅(ごうら)」と呼ばれるその岩海は見応えがある。遊歩道で二瀬川渓谷を遡り、新童子橋で右岸に渡って街道(旧道)と合流した。 麻呂子(まろこ)親王(聖徳太子の弟)の鬼退治伝説で知られる美多良志荒神(みたらしこうじん)から石畳道を進む。ほかにも、鎌渕・馬留・赤坂など親王関連の地名が残る。すぐに文政6(1823)年の供養塔があって赤鬼(分鬼)が立つ大江山登山口に着いた。傍らに句碑(?)が立つ。 堂淵(どうぶち)川に沿って府道9号を中ノ茶屋まで進み、山ノ神が祀られる支谷から旧道に入る。上部に石畳が残っており、車道を横断した先も歩きやすい道がつづく。「千年杉」と関所跡から再び車道を横断し、新兵衛屋敷跡より旧大江山スキー場のゲレンデが広がる普甲峠に着いた。 峠の最高地点付近に天保2(1831)年の千歳嶺碑(道ひろき 君がめくみに諸人の ゆきかひやすき 此千とせ山 季鷹)がある。宮津藩主=京極高広が、「ふこう」は不幸・不孝に通じるとして「ちとせ」へ改めたとされる(地元の呼称は「せんざいれい」)。 寺屋敷の辨財天前から元普甲道を辛皮へ下山し、宮津市から福知山市へ入ったすぐ先で毛原峠に登り返す。植林地から広葉樹の林になると峠で、袈裟切地蔵の周囲には瓦の破片が散乱していた。岩姫神社から降ると、右手に大岩神社がある。社殿の前にはケヤキとスギの巨樹が立ち、背後にはアカガシが群生する。 開けた谷に出て、最上部から見下ろすと毛原の棚田と集落が美しい風景を見せていた(「日本の棚田百選」)。盆地の中をあちこち寄り道しながら往路の車道に戻るが、草薮の中に元普甲道と今普甲道(右 ふげん/左 なりあい)の道標があったらしい。気づかずに小さな峠を越えて駅へ帰り着く。自然美と人工美が織りなす風土を満喫する古道歩きだった(2025.5.20)。 |