大江山連峰から杉山へつづく稜線に普甲(ふこう)峠があり、宮津藩主が参勤交代で使ったと伝わる。その東側には、和泉式部が丹後へ向かう際に越えたとされる古道があって「元普甲道」と呼ばれている。「ふこう」は不幸を想起させるため、「嫁入り道」が別にあったという。「京都再発見」の講座で、茶屋ヶ成(ちゃやがなる)の峠を中心に、付近の見どころを訪ねようと出かけた。 京都丹後鉄道の「辛皮(からかわ)」駅を出発すると長閑な山里の風景に包まれ、山神神社入口から普賢堂の参道を登る。中腹に寺屋敷(宮津市)の集落があって、普甲寺の跡とされる普賢堂と辨財天が祀られていた。ちょっと手違いが発生して、参加者を探しに普甲峠まで確認しに行く。宮津街道(「今普甲道」)にも旧道が残っているので、機会があればまた訪ねよう。連絡がついて寺屋敷で無事合流。 古道は植林地の斜面をトラバースして北に向かうが、上部の自然林が広がる辺りから石畳が現れた。寂れた雰囲気がこれまでの歴史と空気をより強く漂わせる。茶屋ヶ成の峠に出ると、行く手には宮津湾が見下ろせた。 宮津側にも石畳がつづいており、よい雰囲気が漂う。車の走行音が近づいてくると、京都縦貫自動車道を潜って金山の集落に出た。「喜多(きた)」駅までできるだけ旧道を通り、廃校になった上宮津小学校の近くにある城山へ登る。中世の山城跡で、説明板によると城主は小倉氏(小倉播磨守・小倉玄蕃)らしい。北側に張り出した曲輪跡からは、宮津市街を間近に望むことができた。麓には関連する地名と菩提寺である盛林寺が現存する(2024.5.21)。 |