富田川を渡った大辺路は、最初の難所である富田坂・安居辻松(あごつじまつ)峠を越えて日置川の河畔に向かう。安居ノ渡から仏坂は既に歩いているので、川に沿って安宅(あたぎ)まで行き、安宅氏の痕跡を訪ねようと計画した。 「紀伊富田」駅を出発して富田橋を越えると、行く手に山なみが迫ってくる。飛鳥神社と草堂寺を経て南側に回り込めば、趣ある古道が谷間に延びる。一里松跡(和歌山から二十三里)を過ぎると、尾根の末端にある城山の案内標識が立っていた。安宅氏の城跡〔馬谷(うまんたに)城〕だという。 尾根が近づけば七曲がりの坂道になり、折り返しながら上部をめざす。尾根の西面から北東面に移り、山腹を登り気味にトラバースする。紀州の古道にはこうした例が多いように思う。安定した道が維持されるなら、アップダウンがつづく尾根筋より行程は捗るだろう。 平坦地の茶屋ノ壇(峠の茶屋跡)には石仏が安置してある。大正時代まで営まれていたようだ。ここからは、南西面のトラバースになって安居辻松峠へ着く。いくつものルートが交わる地点で、田野井・椿に向かう道が分かれる。近くの塩津山(二等三角点。点名=富田)に登るため、北東方向へ林道を進む。途中に伐採された斜面があって、白浜・田辺方面の眺望が開けていた。木々の間からは大塔山系のピークも確認できる。 トイレが設置された分岐まで戻り、三ヶ川に向けて斜面を降る。水流に出合う地点から、上流の祝(しゅく)ノ滝まで往復した。説明板には、田井筑後守(田野井村)が娘(祝)の嫁入りに際し道具とこの滝(化粧料)を持たせたと記してある。梵字塔と庚申塔を見ながら、川に沿って日置川との合流地点へ出た。 下流にある口ヶ谷・田野井を経て、田野井橋で右岸から左岸に渡る。安宅氏の墓がある宝勝寺から八幡神社に寄り、安宅八幡山城へ登り返した。上部には曲輪・堀切などが点在していて、見事に保存されている。下山して、平時の居住地である城館跡や安宅の集落を周回し、「紀伊日置」駅に引き上げた(2025.3.8)。 |