京田辺市にある甘南備山は、神が降臨する地として長い歴史を有する。奈良時代には、行基の開創とされる甘南備寺が山上にあった。現在は遊歩道が全山に整備され、多くの市民に親しまれている。何度かコースを変えて訪れたが、今回は北側の大住から虚空蔵堂に寄って三角点のある雌山と神南備神社(雄山)に向かう。 大住ヶ丘の住宅地を外れると緑に包まれ、幼稚園の横から岩に囲まれた虚空蔵堂へ立ち寄った。「十三参り」の風習は今もつづく。下の谷筋には「虚空蔵さんの滝」が懸かり、生活圏に隣り合うエリアとは思えない静寂さである。尾根の末端から基準多角点を経て登りたかったが、水道施設の工事で入口が不明瞭。仕方がないので、野外活動センターから尾根に取り付く。すぐに尾根道が左から合流し、ゴルフ場のフェンスに沿って峠へ出た。 南に進んで手原川の流域に入ると、支流の伊勢講川の方から登ってくる遊歩道と出合う。設置された地図の方位が逆なので理解しにくい。雌山に着いた頃から、ポツポツと雨が落ちてきたので早めの昼食休憩にした。みるみる雲がかかり、慌てて山々を確認する。山頂直下の白石は平安京遷都と大いに関わりがあるらしい。北(地)を祀る地として船岡山(玄武)を、南(天)を祀る地として甘南備山(朱雀)が選ばれた。この両者を結んだ線上に、朱雀大路と皇居が造営されたという(千田 稔)。 雄山にある神南備神社から旧登山道で山麓に降り、手原川沿いの景観を眺めながら薪にある酬恩庵(一休寺)へ。手前にある薪神社は能楽発祥の地といわれ、室町時代に金春禅竹(こんぱる ぜんちく)が野外で猿楽を演じたので「薪能」が生まれたらしい。天井川の天津神(あまつかみ)川左岸にある甘南備寺は、元禄2(1619)年に山上から移されようだ(2024.10.29)。 |