中部にある熊野岳・刈田(かった)岳と面白(おもしろ)山など北部の山に登ったことはあるが、南蔵王は未踏の山稜だった。そこで、山麓の温泉とともに蔵王の山々を楽しもうと計画を立てる。 仙台から峩々(がが)温泉に入って一泊し、翌日は名号(みょうごう)峰に登って熊野岳・地蔵山・三宝荒神山を経由してスキーコースで蔵王温泉(山形)へ下山。3日目はロープウェイで地蔵山に戻り、刈田岳から前山・杉ヶ峰・屏風山・南屏風山・不忘(ふぼう)山へ縦走して長老湖まで歩く。その後は、奥州街道と羽州街道をつなぐ街道筋の七ヶ宿(しちかしゅく)町と城下町である白石(しろいし)市に寄る山旅である。 峩々温泉は胃腸病の名湯として知られ、濁川の河畔にある一軒宿だ。談話室に古いピッケルが展示してあり、主人に尋ねると祖父の持ち物だったらしく、上段の遊動リングがついたものはピック・ブレードの形状から山内東一郎(やまのうち とういちろう)作(中期?)ではないかとの印象を受けた。残念ながら、保存状態があまりよくないので刻印はわからない。 宿の裏手から斜面に取り付き、猪鼻で青根温泉からのコースが合流すると緩やかに標高を上げる。名号峰では北側の景色が広がった。夏のような暑さだが、道端にはアキノキリンソウの黄色い花が目立つ。標高1,700mを超えるとガスに包まれ、最高峰の熊野岳(二等三角点。点名=熊野岳)から三宝荒神山までは足元だけを見て進む。ザンゲ坂を降ると、スキー場を前に赤い岩肌の瀧(りゅう)山が横たわっていた。慈覚大師円仁が開山したとされる山岳信仰の山である。紺色のリンドウが各所で目立ち、トニー-ザイラーの碑にも寄る。メロディーとともに映画『白銀は招くよ』を思い出す。 翌朝は一番のロープウェイで地蔵山山頂駅に向かい、トラバースルートで馬ノ背をめざす。幸い見通しがよく御釜が眼下に水を溜めていた。観光客が目立つ刈田岳(三等三角点。点名=刈田岳)から刈田峠まで来ると静かになる。杉ヶ峰へ縦走路を進めば、あちこちに降ろされた土木資材が目に入った。その先の芝草平では登山道の整備工事がなされていた。 登り返して一等三角点の屏風岳(点名=屏風岳)で休んでいると、水引入道(みずひきにゅうどう)からの登山者が次々と登ってくる。やはり、地元では人気の山らしい。おもしろい山名は雪形に由来する。なだらかな道を南屏風岳まで快調に進み、鎖場のあるアイハギの峰を経て不忘山へ最後の登りを頑張る。小祠の先に三等三角点(点名=不忘山)の標石があった。南側は長老湖のある山麓一帯が視野いっぱいに広がる。 第二次世界大戦中に、B29が墜落して乗組員全員が死亡したと記された「不忘の碑」から広いザレを降り、樹林帯から山麓に出て硯石を見る。源頼義(みなもとのよりよし)が墨を擦ったという伝説が残り、間道の重要な分岐点だったらしい。長老湖の東側でバスに乗車し、七ヶ宿町へ向かった(2024.9.6〜9.7)。 |