探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.970【千枚岳から悪沢岳へ】
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左=千枚大吊橋を渡って尾根に取り付く  右=大井川の上流方向(大吊橋から)
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左=岩頭(いわがしら)見晴し(標高=1,380m)から悪沢岳(中央)を見上げる(2024.7.26)  右=岩頭見晴し付近の岩尾根
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赤石岳(2024.7.26=見晴台から)
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荒川三山(2024.7.26=左から前岳・中岳・悪沢岳・千枚岳)
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左=明治時代(明治40年〜43年)の伐採跡(伐根)  右=駒鳥池
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左=木馬道の起点跡(標高=2,470m)  右=千枚小屋(遠景は笊ヶ岳から布引山の稜線)
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大井川を挟んで東側を望む(中景中央は別当代山。背後の左手は源氏山。遠景左手に大菩薩嶺・小金沢山。右手は三ツ峠山の山稜)
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大井川下流(左岸左から生木割・笊ヶ岳・布引山と稲又山・青薙山・七ツ峰。遠景中央左は山伏。遠景右手に小無間山と手前に上千枚山)
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群生するマルバダケブキ(千枚小屋付近)
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千枚岳(三等三角点、点名=上千枚。中景右手は生木割から右に笊ヶ岳が連なる。左に下ると転付峠)
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左=丸山への尾根  右=悪沢岳への道
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ライチョウの親子
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左=丸山  右=悪沢岳
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丸山の下部から東を望む(遠景中央左は櫛形山。中景右手は別当代山の山稜)
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櫛形山(遠景中央)
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千枚岳
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小無間山(遠景左手)・大無間山(遠景中央)・大根沢山(遠景右)。中景中央は上千枚山
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遠景は黒岳・三ツ峠山の山稜。最遠景は道志・丹沢山地(2024.7.26早朝=千枚小屋から)
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富士山(遠景中央)と手前に毛無山の山稜(2024.7.26早朝=千枚小屋から)
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 荒川三山〔前岳・中岳・悪沢(わるさわ)岳=東岳〕は、初めて3,000m峰に登った山でとりわけ印象深い。その時は三伏峠から縦走し、登頂後は大聖寺平から小渋川へ降った。そのため、千枚岳を踏むことはなかった。標高が2,880mあり、日本の山々でも上位にランクされる。だが荒川岳の付属峰とされ、わざわざ登りに行くことは少ないだろう。ただ、周囲から眺めると悪沢岳の東側に位置する山容は大きく、登るべきピークだと感じていた。
 2泊3日で登頂を果たすため、椹島(さわらじま)ロッヂを基点に千枚小屋へ泊まって往復する。大井川畔は標高が1,100m。悪沢岳まで登れば標高差は2,300メートルを超えるので、なかなか厳しいコースである。二軒小屋ロッヂから行くなら体力面で少しは軽減されるが、ここ何年も営業していないのでコースは実質一本しかない。
 明るくなった午前5時に椹島ロッヂを出発し、大井川本流に架かる吊橋を渡って尾根に取り付く。送電線の鉄塔が建つピークまで急坂がつづく。いったん100メートルほど降り、登り返すと山腹の林道に出た。傾斜は徐々に緩やかになり、樹林帯に明瞭な道が延びる。蕨段(わらびのだん)の三等三角点(点名=蕨段)を見て少し進むと、林道が近づいてきてベンチのある見晴台(標高=2,130m)があった。登る日は上部がガスに覆われていたが、翌日は奥西河内(おくにしごうち)を取り囲む赤石岳と荒川三山がすっきりとスカイラインを描いていた。清水平の水場で喉を潤し、駒鳥池を横に見て千枚小屋へ午前9時40分に到達。
 千枚岳と悪沢岳を踏むため、そのまま行動をつづける。ダケカンバの林を抜けるとハイマツ帯になってガラガラの斜面となった。千枚岳は赤石岳と塩見岳の展望台として知られるものの、朝から山頂部をガスがまとわりつく。反対に白峰南嶺から南下する稜線の笊(ざる)ヶ岳など、東側の山々は姿を現していた。この日は太平洋高気圧の縁を回り込む南西風が強く、大気が不安定なため次々と西側から雲が湧き上がってくる。下降側は逆に吹き消されてクリアだ。
 丸山まではしばらく岩場が連なるので、風に煽られないよう進む。広く開けたザレになるとお花畑が展開し、見通しが悪い行く手に2羽の雛と親のライチョウが歩いていた。距離をとって、静かに超スローペースで足を踏み出す。やがて岩礫の積み重なったエリアに入り、いくつも聳え立つ岩塔を見ながら悪沢岳に登り着いた。時間は午前11時55分。足元の草花を確認しながら、ゆっくり千枚小屋へ戻る。
 翌日は、シラビソ林からコメツガ・ウラジロモミ林、そしてツガから広葉樹へと森林の垂直分布を感じつつ、3時間40分で椹島ロッヂへ帰った。林業の基地だった名残りがあって、創業者=大倉喜八郎(おおくら きはちろう)を偲ぶ記念樹や南アルプスを撮りつづけた白籏史朗(しらはた しろう)の写真館などを訪ねた。若いころ参考にした『アルパインガイド59 赤石・聖・荒川岳』(山と溪谷社 1965年)は同氏の執筆で、写真家として大成する前の書籍である。なお、日付のない上の写真は7月25日に撮ったもの(2024.7.25〜7.26)。
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左=白籏史朗南アルプス山岳写真館  右=大倉喜八郎の一周忌法要で植樹された3本のサワラ(1929年)
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