西国三十三所の第二十三番札所である勝尾(かつおう・かつお)寺は箕面の山間にある。粟生(あお)の西国街道に大鳥居が建ち、一里(三十六町)の参詣道(表参道)が寺院に向かってつづく。旧境内榜(正しくは「片」偏に「旁」)示(ぼうじ)石蔵(いしくら)および町石が国史跡に指定され、今も大切に保護されている。 以前は北千里から歩いてアプローチしたが、今回は距離が長いので外院(げいん)までバスに乗車する。バス停の近くに二十六町石(本来は二十八町石)があり、山に向かって参道が延びる。最も背の高い二十二町石で古参道(左)と旧参道(右)に分かれるが、今回は右側を選ぶ。ここは、かつてマツの木があったため「一本松前の町石」と呼ばれてきたらしい。古参道には二基の町石が現存する。卒塔婆形式の町石は七町から山門までで、これらは宝治元(1247)年に建立され国内最古の町石とされる。それ以外は、江戸時代に大坂淡路町の小嶋屋長左衛門らが寄進したものという。 八天(はってん)石蔵は、寺領を示すため石壇を設け壺に納められた仏像が埋められていた。寺の午方(ごほう=南)にあたる粟生村との境界は、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)石蔵である。 門前に着いて勝尾寺園地で昼食ののち、昨秋と同じコースで証如峰に登る。その後は東海自然歩道で政ノ茶屋園地に降り、箕面大滝を経て「箕面」駅まで歩いた。途中に勝尾寺の教信と証如の供養塔(宝篋印塔)があり、最勝ヶ峰には弥勒寺(勝尾寺の前身)を開山した奈良時代の開成(かいじょう)皇子〔光仁(こうにん)天皇の皇子〕の墓(鎌倉時代)を見る(2024.3.17)。 |