尾鷲湾の南に位置する九木(くき)崎には、半島の中央に頂(いただき)山があって、海と一緒に楽しめるエリアとして人気を集めている。何より有名なのは、「オハイブルー」と呼ばれる海岸だろうか。 できるだけ多くの見どころを訪れるため、早めに「九鬼(くき)」駅を出発した。九鬼氏にまつわる土地だけに、戦国時代の水軍はよく知られている。江戸時代には船見番・常燈番が任命され、世襲化していたという。入江の斜面に集まる家屋を抜けると中腹に猪垣が連なり、標高140m付近に古い石造道標が立つ。右が頂山への道だが、左はかつてあった「由くの」へ向かう道である。 北側から来る林道と出合うと、上部は伐採後の斜面が広がっていた。途中で原生林を経由する道が左に分かれるが、景色がよいので山頂の北西斜面を登る。八鬼(やき)山や尾鷲湾など、すばらしい眺めだ。二等三角点(点名=九木浦)を踏んでからハカリカケ岩に寄る。今度は熊野灘のパノラマが展開する。内陸部に住む者にとって、海の見える山は心躍る時間となる。 尾根から谷筋へ降ると水量の多さに驚く。さすが多雨地帯。渇水期でも大きな音が響いていた。古田の平坦地から九鬼崎遠見(とおみ)番所・常燈場・狼煙場と二号魚見小屋を往復する。付近の樹林には巨樹も多く、その自然環境に目を見張る。説明版によれば、海岸防備と船舶の安全を守るため、江戸時代に九鬼嶋之助家が給米15石で務めていたようだ。 古田から谷の右岸を少し降ると大配(おはい)海岸への道が分かれる。急に人の数が多くなり、姿を追って岩場の先端まで行き海を眺めた。分岐点まで登り返し、トラバース道を西に進む。アップダウンがけっこうあって時間がかかる。西側の殿(との)浜にも立ち寄り、猪垣を越えると監視哨跡の道が海側へ分かれた。煉瓦と欠けた器などが残っていた。時間の関係で網干場(あばば)は割愛し、九木神社・岬神社・眞巌寺に寄ってから駅へ戻る(2024.3.16)。 |