尾鷲市と紀北町の境界にある天狗倉(てんぐら)山から、東へ向かう尾根は徐々に低くなって猪ノ鼻で尾鷲湾へ没する。かつて、オチョボ岩まで歩いたものの、水地(すいじ)越や小山浦(おやまうら)狼煙場跡などを訪ねることは叶わなかった。気になっていたので、渡鹿(とうか)道を使って狼煙場跡まで登ってみる。 「尾鷲」駅を出発し、天満浦から水地を経て天鷲山長楽院まで景色を見ながら道路を進む。山手の斜面では甘夏が実り、ヒサカキの匂いに包まれる。日当たりのよいところでは春の花が咲き始めていた。 比叡山の別院である長楽院は、緑に囲まれた江戸時代の趣ある大きな寺院である。その入口で渡鹿道が分かれ、紀北町の小山浦までつづく。明治21(1888)年に開通した水平道は、大八車の通れる道幅があったらしい。標高50〜100mに付けられ、周囲の広葉樹林が気持ちよい。ウバメガシやリュウビンタイ(シダ植物)も目立つ。大渡鹿(おおどうか)付近では炭焼窯の跡も数箇所見られた。大正6(1917)年に紀伊長島〜尾鷲間の道路が開通して、半島を廻る道の役目は終わった。 猪ノ鼻から急な尾根を登って狼煙場跡をめざす。江戸時代に紀州藩が熊野灘の監視のために置いた見張りの跡で、異変があれば狼煙で情報を伝えたという。翌日に予定している九木(くき)崎にもあり、各所をつなぐ連絡網が完備していた。途中で樹間から海を見下ろすことができたものの、395mのピークからは展望が得られなかった。オチョボ岩より小ぶりな「コチョボ岩」付近の地形が険しい。 猪ノ鼻に戻って少し進むと県道(155号)に出合う。あとは、小山浦側にある狼煙場跡の登り口を経て植林地を降り、長泉寺から銚子川を渡って「相賀(あいが)」駅まで歩いた(2024.3.15)。 |