日置(ひき)川と古座(こざ)川の大きな河川に挟まれた周参見(すさみ)川(二級河川)は、南紀では比較的規模が小さい。だが、地形や地質は紀伊半島の特徴を示していて各所に景勝地を抱える。本流の雫ノ滝(落差=約30m)や広瀬渓谷はその代表であろう。流域の主要峰である重善(じゅうぜんが)嶽と善司ノ森(ぜんじのもり)山を目標に訪れた。 「周参見」駅から小河内(おかうち)に向かい、出谷と城間川(日置川水系)の分水嶺(峠)から重善嶽に取り付く。急斜面に設置されたモノレールに沿って緩やかな尾根へ出て、植林地の山道を山頂めざす。自然林の急坂を登り切り、下山は大附(おおつき)の福田寺へ向かう。この山域の最高峰とはいえ、登頂は容易だった。 次は、坂本谷に設置された林道で善司ノ森山へ向かう。一帯は水源林造成事業の植林地で、上部からは先ほど登ってきた重善嶽が姿を見せていた。尾根に近づいた地点から小さな谷を登り、大附越の旧道に出て山頂の南側へ登り着く。一等三角点の頂上は樹林に囲まれ展望は得られない。大附越の上部で樹間から輝く海がわずかに見えるだけである。 尾根の西側をトラバースする林道で南へ進むと、斜面や尾根筋に大きな木が何本か認められた。なかでも最大のスダジイが道路際に立っていて、見上げると枝を広げた大きさに驚かされる。幹回りは8メートルを優に超える。514m標高点の手前で林道は終わり、そのまま尾根を歩く。気持ちのよい広葉樹林がつづく。廃村になった広瀬への峠道だろうか。石仏が一体祀られていた。折り返しながら、よく踏まれた道が集落跡へ誘ってくれる。 その真ん中に、今度はスギの巨樹が立っていた。石段と屋敷跡の石垣に囲まれ、植林の木で覆われているため全貌がよくわからない。広瀬谷を徒渉して左岸の林道跡に出た。この辺りは戦国武将の隠れ里といわれ、山本熊之進(因幡)一族(市ノ瀬=上富田町=龍松山城主)が居住したとされる。家臣は明治時代まで開拓地を守っていたらしい。 美しい川床や小さな落差を見ながら下流に進むと、中流で道路がよくなった。屈曲する流れは琴ノ滝につづくが、道路は左岸を巻いて折り返す。右岸へ渡ったところから少し遡ると滝壺の前に出た。下流には遊歩道が設けられ、名前の付いた滝を巡りながら牛ノ大岩を経て入口の本家(おもや)平に達する。滝はどれも小さく特筆するほどでもない。ただ、周辺の自然環境は貴重で、シャクナゲや落葉広葉樹林に暖地性の海辺の植物が混在する。そのため生物も多様性に満ちていて、和歌山県の自然環境保全地域に指定されている。 広瀬口で本流沿いの道路と出合い、駅に戻って山行を終えた(2024.2.13)。 |