明治時代になっても、奇絶峡(きぜつきょう)を通行するのは困難を極めたらしい。その歴史を記した山地新道碑から西側の急斜面に取り付くと、山腹に用水が流れる。少し南側へ行くと暗谷山・ハナレ山の登山口があった。登り始めると、険しい地形を反映して岩場を縫いながらロープが上に向かって延びる。厳しいルートである。やっと一息つけるところに出ると東面の景観が広がり、ほどなくコルに向けてトラバースが始まった。 暗谷山から香呉谷山まで来て、これから登る龍神(りゅうぜん)山・三星(みつぼし)山が手の届くような近さに確認できた。ゆったりした稜線とすっきりした三角形のピークが対照的だ。いったん「西岡のコル」に降り、登り返すと三星山の南峰に登り着く。岩場の上からは高尾山と同様の眺望が楽しめる。田辺湾がより近くなった。三等三角点の頂上は木々に隠れる範囲が大きく、小休止だけで先に向かう。 西面の尾根は傾斜が強く、あちこちに岩場があるのでルートの見極めが重要だ。なかには、フィックスロープに古いものもあって慎重に行動しなければならない。「龍星のコル」からは穏やかな尾根になって八幡社の分岐に着いた。この小祠は、秀吉の紀州攻めで焼き払われたあとこの地に祀られたものらしい。もとは中芳養(なかはや)にあったという。祠の前の四等三角点(点名=川原谷)からは、再び見事な眺望が得られた。 平坦な山城跡を分岐まで戻って南に進むと、龍神社(上津綿津見・中津綿津見・底津綿津見)の拝殿が現れた。ウバメガシをはじめ、アカガシ・イヌマキ・ヒノキなど大木が点在する。弘法腰掛けの岩から修験坂を降りて参道の尾根を南下。途中で稲成(いなり)へ下る参道が分かれる。標高300m辺りから梅林が広がり、長閑な光景に包まれる。佐向(さこう)谷を挟んで三星山の山稜が望めた。城跡の重善(じゅうぜん)山をトラバースして秋津(大西)の一ノ鳥居に下山する(2024.2.12)。 |