和泉葛城山の東側に大石ヶ峰があり、北に向けて長い尾根が平野へ張り出す。地元で親しまれる高塚山・手洗川(ちょうずがわ)山・岩雄山・フジノサコの頭などが並ぶ。今回は父鬼(ちちおに)集落から父鬼街道(紀州街道・鳳〜大和街道・西笠田)の一部を明神谷橋まで遡り、明神谷から岩雄山へ取り付く。そのあと、大石ヶ峰までアップダウンを繰り返して主稜に達し、鍋谷峠から父鬼川に沿って集落へ戻る計画にした。 父鬼氏や行者を支えた前鬼が住んだといわれる父鬼は、豊かで落ち着いた家並みが川沿いにつづく。乳滝を眼下に見ながら進むと製材所が並び、付近は木のよい匂いに包まれていた。明神谷に入ると、上部の林床はショウジョウバカマが一帯を覆う。稜線の東斜面で尾根道と合流し、まず岩雄山を往復する。10年ほど前に周囲が切り開かれて眺望に恵まれたそうだが、あたりは雑木林になっていた。 尾根の東側は植林地が多いものの、西面には自然林も広がる。途中のピークに名前が付され、北から牛滝ノ峯(689m)・不惑ノ峯(694m)・光明ノ峯(741m)を経てハナノタワに至る。地形図にある徒歩道はどちらも明瞭で東側の道路へ下れる。広く緩いエリアを中心にミヤマシキミの赤い実が多かった。標高が高くなると残雪が見られ、霜柱を踏んで大石ヶ峰に登り着く。山頂直前の道はバイクで掘り返され歩きにくい。 主稜を東に向け進むと、小堂峰を経て鍋谷峠に降り立った。道筋にはアオキが実をつけ始めている。谷筋を降りたかったが、近畿自然歩道は通行禁止のテープが張られ、残念だが道路で下山するしかない。途中に石仏が祀ってあり、享和2年の文字が読み取れた。修行や巡礼は古くから七越峠が使われたものの、鍋谷峠も主要ルートのひとつだったらしい。役行者像や乳瀧不動尊を見て、バス停のある観音寺・八坂神社前へ帰った。急な石段を登った割拝殿からの景観が美しい(2024.2.9)。 |