探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.922【便石山】
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左=送電線の巡視路を登る  右=登路の樹林
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大きな木も目立つ(アカメガシワ?)
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左=「象の背」  右=「小象の背」
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「象の背」から北方を望む(遠景中央左は仙千代ヶ峰。最遠景左手に白倉山・古ヶ丸山・迷岳のピークがわずかに覗く)
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遠景左は七洞岳と獅子ヶ岳。手前の右側に有地山。右手は姫越山と高山
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銚子川と相賀方面(中景左手は高丸山。背後の右側に浅間山。最遠景右手には局ヶ頂が見える)
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銚子川下流と白石湖・引本浦(熊野灘の手前右手は榎峠の山稜)
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天狗倉山
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尾鷲市街(背後は八鬼山=中央右手=の山稜)
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高峰山(右手の最高峰)の山稜(左手に亥谷山)
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馬越峠に向かう尾根から見た銚子川上流の山々(中景左手は樫山。背後の雪稜は日出ヶ岳。中景右手の鋭鋒は854.7m峰)
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左=便石山(遠景右手は橡山)  右=馬越峠
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左=峠道の石橋と石畳  右=桜地蔵(安兵衛地蔵・水呑地蔵)
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左=不動滝  右=宝永4(1707)年10月4日の津波供養塔(背景は便石山)
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左=熊野古道「伊勢路」の街道(北川橋付近)  右=尾鷲神社の大クスノキ
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 尾鷲市街の北西にある便石(びんし)山は、北東にある天狗倉(てんぐら)山とならび市民に親しまれる山である。間に馬越(まごせ)峠があって、熊野古道「伊勢路」が通っている。以前に古道を歩いた時は立ち寄れなかったので、冬の好天を狙って出かけた。なによりこの山が知られるのは、山頂の東斜面にある「象の背」からの風景であろう。条件に恵まれると富士山も望むことができるらしい。
 三重県尾鷲庁舎の北側にある送電線の鉄塔が並ぶ尾根から登り、矢所峠(尾根の合流点)で高峰山から来る『尾鷲トレイル』と出合い便石山の三等三角点(点名=便石)へ。さっそく「象の背」に向かうと、そこには何人もの姿があった。岩の背で飛び跳ね写真を撮っている若い人があって、傍にある「小象の背」で昼食休憩にする。
 岩場からの展望は、宮川水系右岸のエリアから志摩半島にかけての山々とリアス式海岸。尾鷲湾と八鬼山から高峰山にかけての山稜が一望のもとである。なかでも、仙千代ヶ峰や先日登った姫越(ひめご)山、そして近くの天狗倉山が目を引く。
 山頂に戻り、北側から回り込んで馬越峠への尾根を降ると、いま登ってきたピークや銚子川流域を見渡せる場所があった。清流で知られるこの川の上流は、大台ヶ原の南東面に食い込む沢登りのフィールド。若い頃を思い出す。
 峠から石畳の道を南側に進み、「洗い越し」や石橋を見ながら桜地蔵を経て馬越公園に下山した。途中で東屋のある展望台と不動滝へ立ち寄る。正徳3(1713)年に建立された「経塚・三界万霊」塔は津波の犠牲者を供養するもので、墓地から北川橋を経て金剛寺と尾鷲神社にも寄ってみた(2024.1.29)。
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