大文字山から峰つづきにある安祥寺上寺(あんしょうじかみでら)跡へ久しぶりに立ち寄った。近くの400m標高点(安祥寺経塚跡)を経て後山階陵(のちのやましなのみささぎ=藤原冬嗣・藤原順子)へ下りる尾根で、山科盆地を見下ろす写真が読図の試験問題になったことがある。周辺のピークや谷、周りの状況から特定は容易だと思って回答したら、数十メートル以内の誤差でないと不正解。プレートコンパスで精密に方位を求める課題だった。実際の山行でそこまで詳細に知ることは難しいものの、昨今の「地図を読む」テクニックは感覚的な要素だけではダメなようである。 そんなことを考えながら支尾根の平坦地に来ると、南側が開けて眼下に山科盆地から遠く大阪のビル群まで望むことができた。ときおり雪雲が通過するので、大峰の山々までは認められなかったが、興味深いひとときを過ごすことができた。下の写真は、その前に大文字山の頂上から南方を見たもの。この時はわずかに大峰の高峰や金剛山が姿を見せていた。 跡地の中央には、調査をもとにした寺の復元図が掲げてある。いつ発掘されたのか知らないが、かつて私が探索していた頃は薮の中で古代瓦の破片を目にしたこともある。山科疏水の傍らにある現在の安祥寺(下寺)は江戸時代に開かれたが、山上のこの寺は嘉祥・仁寿年間(848〜853)頃まで遡るらしい。東山の山中で多くの寺院が営まれていたことを伝えるものだけに、南北朝の兵火で焼失したのが惜しまれる(2024.1.8)。 |