記紀神話に出てくる国生み伝説の舞台=沼島(ぬしま)を一周してきた。以前から気になっていたのは、四国から紀伊半島につながる中央構造線のすぐ南側に位置するため、島の地質や地形をこの目でぜひ確かめたかったからである。天御柱(あめのみはしら)とされる上立神(かみたてがみ・かみたちかみ)岩はその象徴で、矛先が海面から突き出す。緑がかった尖頭は迫力満点だ。より大きい下立神岩も南部に聳えていたが、安政大地震で折れたのち自然の力で壊れたとされ、現在は基部だけしか残っていない。 島の古名は淤能碁呂(おのごろ)島で、沼矛(ぬぼこ)ノ島から「ヌシマ」に転訛したとされる(『大日本地名辞書』)。南西部にオノコロ山(二等三角点、点名=沼島)があり、集落に近い尾根に自凝(おのころ)神社が祀られている。照葉樹林につづく道を進むとミニ四国八十八所の石仏と出合った。巡礼道を逆打ちで東面に回り込めば、草地の向こうに沼島灯台が白く輝く。樹木の間から大きな三角形の岩が海辺に望めたが、下立神岩かどうかはっきりしない。奇岩や断崖を見るには船で周回するほかないだろう。 上立神岩近くの海辺まで歩道が整備され、阿弥陀碆岩(あみだばえ)と平碆岩(ひらばえ)なども視野に入る。「ばえ」「はえ」は岩礁のことである。登り返して山ノ大神(稲荷社)から石仏山の沼島灯台をめざす。西側にある四等三角点の点名は石佛。その後は巡礼道をはずれ、北面の黒崎方面に向かう。四等三角点(黒崎)への道は不明瞭なので登らず、西側に回り込むと雰囲気のよい照葉樹林がつづいていた。最後は神明神社に寄ってから港へ戻る。 少し時間があるので、集落にある観音寺・神宮寺・沼島八幡神社などを巡った。神社の拝殿に奉納された絵馬で、秀吉が「沼島水軍」を重用していたことを知る。賤ヶ岳七本槍の一人=脇坂安治(わきざか やすはる)は淡路守を務めた。社殿背後はタブノキやスダジイの木々に包まれる。4時間ほどの慌ただしい島旅だったが、印象に残る1日になった(2023.12.8)。 |