探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.907【和田ノ森から冷水山へ】
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果無山脈縦走の案内(『岳人』No.406 1981.4 東京新聞出版局)
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左=登山口の小森  右=和田ノ森
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左=上湯川(十津川村)側の伐採地(遠景は大峰山脈)  右=安堵山(三等三角点、点名=東原)
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白馬山脈と日高川上流の山々(遠景右手の最高峰は城ヶ森山)
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大峰山脈〔遠景中央左手から右へ涅槃岳・転法輪岳・行仙岳・地蔵森(地蔵岳)・槍ヶ岳・笠捨山など〕
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左=林道から稜線へ登る(背後の左は安堵山)  右=黒尾山
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遠景は烏帽子山・那智山と大雲取山の山稜。手前右に笠塔峰。中景中央は要害森山
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大塔山系(最遠景左は峯ノ山。遠景右手の最高峰は大塔山。手前右に野竹法師が重なる。中景中央左は笠塔峰)
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富田川流域の山々(中景左手は千丈山。遠景右に槇山)
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左=冷水山(一等三角点、点名=果無山)  右=山頂から南の支尾根で林道に降りる
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冷水山山頂から北方を望む(遠景中央は護摩壇山の山なみ。中景中央左は大峠山。中央右は牛廻山。背後の右手は鉾尖岳の山稜)
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冷水山山頂から南方を望む(遠景左は法師山。最遠景中央左に重善嶽。最遠景右手の三角形は三舞山)
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城ヶ森山(遠景中央)と手前左手は高甲良山の山稜(安堵山北側の林道から)
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遠景は中央左手から護摩壇山・龍神岳・耳取山(中景右は大峠山)
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左=青空が広がり紅葉が映える  右=ショートカットした作業林道で登路へ戻る
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左=ギョウジャアザミ  右=リンドウ
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 ここ何年か、周辺の山から果無(はてなし)山脈を眺めて一度は行きたいと思っていた。魅力的な名前は、『日本輿地通志』(江戸時代)によれば「無終山は……谷幽かにして嶺遠し、因りて無終と曰う」と記される。また、『日本名山圖會』(谷文晁)でも高野山や那智山とともに描かれており、紀伊半島の最奥部だがよく知られていたことがわかる。
 和田ノ森から最高峰の冷水(ひやみず)山を経て石地力(いしじりき)山へ縦走したのは40年以上も前のことである。登山口の小森(龍神村)と熊野古道小辺路が通る果無(十津川村)は、文字どおり隠れ里であった。その時は、西側につづく笠塔山・持平山にも登った。今回は『山旅倶楽部』として、冷水山をメーンに山麓の温泉を含めて計画する。
 丹生ノ川(日高川水系)の奥地にある小森(田辺市)から入山し、植林帯の急坂で兵生(ひょうぜい・ひょうぜ)への分岐に達する。和田ノ森を越えると稜線に林道が現れた。安堵山が近づけば上湯川(十津川村)側の北面が伐採され、護摩壇(ごまだん)山など紀和国境の山々が連なる。弥山や釈迦ヶ岳は雲で隠れていたものの大峰山脈も見える。南面の林道に移ると、今度は大塔山系や日置(ひき)川流域の山々が展開する。ブナ・ヒメシャラが目立つ黒尾山を過ぎて登り返すと冷水山の一等三角点に着いた。青空が広がり、南北とも眺望に恵まれる。一般的に国境は自然地形で決まる場合が多い。だが、ここは引牛越につながる分水嶺でなく安堵山・和田ノ森まで奈良県が張り出している。
 往路は稜線をトレースしたが、時間の制約があるため帰途は林道を利用する。南側の支尾根で中辺路側の林道に降り、安堵山の手前で北側に移動。往路では雲がかかっていた日高川源流域の山も望めるようになった。和田ノ森のピーク直前から南斜面の作業林道を進むと、標高940m付近にトラバースすることができる。小森の集落ではススキの原が広がり、アザミ・リンドウ・キクが各所に咲いていた。
 役小角が発見し、弘法大師が開いたとされる龍神温泉で宿泊。翌朝に中山介山の小説で有名になった曼荼羅ノ滝と、勤王の志士8名が幽閉された天誅倉を訪ねる(2023.11.11)。
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龍神温泉(上御殿)
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左=曼荼羅ノ滝(撮影=2023.11.12)  右=天誅倉(撮影=2023.11.12)
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