ここ何年か、周辺の山から果無(はてなし)山脈を眺めて一度は行きたいと思っていた。魅力的な名前は、『日本輿地通志』(江戸時代)によれば「無終山は……谷幽かにして嶺遠し、因りて無終と曰う」と記される。また、『日本名山圖會』(谷文晁)でも高野山や那智山とともに描かれており、紀伊半島の最奥部だがよく知られていたことがわかる。 和田ノ森から最高峰の冷水(ひやみず)山を経て石地力(いしじりき)山へ縦走したのは40年以上も前のことである。登山口の小森(龍神村)と熊野古道小辺路が通る果無(十津川村)は、文字どおり隠れ里であった。その時は、西側につづく笠塔山・持平山にも登った。今回は『山旅倶楽部』として、冷水山をメーンに山麓の温泉を含めて計画する。 丹生ノ川(日高川水系)の奥地にある小森(田辺市)から入山し、植林帯の急坂で兵生(ひょうぜい・ひょうぜ)への分岐に達する。和田ノ森を越えると稜線に林道が現れた。安堵山が近づけば上湯川(十津川村)側の北面が伐採され、護摩壇(ごまだん)山など紀和国境の山々が連なる。弥山や釈迦ヶ岳は雲で隠れていたものの大峰山脈も見える。南面の林道に移ると、今度は大塔山系や日置(ひき)川流域の山々が展開する。ブナ・ヒメシャラが目立つ黒尾山を過ぎて登り返すと冷水山の一等三角点に着いた。青空が広がり、南北とも眺望に恵まれる。一般的に国境は自然地形で決まる場合が多い。だが、ここは引牛越につながる分水嶺でなく安堵山・和田ノ森まで奈良県が張り出している。 往路は稜線をトレースしたが、時間の制約があるため帰途は林道を利用する。南側の支尾根で中辺路側の林道に降り、安堵山の手前で北側に移動。往路では雲がかかっていた日高川源流域の山も望めるようになった。和田ノ森のピーク直前から南斜面の作業林道を進むと、標高940m付近にトラバースすることができる。小森の集落ではススキの原が広がり、アザミ・リンドウ・キクが各所に咲いていた。 役小角が発見し、弘法大師が開いたとされる龍神温泉で宿泊。翌朝に中山介山の小説で有名になった曼荼羅ノ滝と、勤王の志士8名が幽閉された天誅倉を訪ねる(2023.11.11)。 |