矢田丘陵の遊歩道を使って、北部の神武(じんむ)峯から奈良時代の古道が通る榁木(むろのき)峠まで歩く。松尾山や矢田山など中南部はコースを変えて何度もトレースしたが、このエリアは初めてである。 東生駒から尾根に取り付いて218.2mより縦走した。椚(くぬぎ)峠でいったん道路へ降り、帝塚山大学の西側から尾根に戻る。主稜は生駒市と奈良市の境界で樹林がつづく。神武峯の山頂近くで奈良方面の展望が得られた。この付近は岩鼻(いわのはな)越と呼ばれ神話の舞台である。神武天皇は、丘陵一帯を支配していた長髄彦(ながすねひこ・ながすねびこ)と戦ったことで、現在の呼称(山名)になったらしい。頻繁に方向を変えて登り始めると、この日の最高地点である榁木山(Ca.270m)へ竹林の中を折り返して到達。降りるとすぐに八十八所の石仏が現れ榁木峠に着いた。 生駒山系の暗(くらがり)峠からつづく榁木越は、江戸時代には長谷寺から伊勢へ向かう人々で賑わった。峠の石仏や道の分岐に設けられた道標が往時の賑わいを伝える。北側は富雄、南側は矢田にあたり、古道の雰囲気をよくとどめている、なかでも、本陣だった村井家住宅の大和棟が立派だ。奈良と大和郡山の分岐にあたる追分(奈良市大和田町)には、掲載した写真以外に時代の異なる3基の道標があり、矢田山や榁木山弘法大師堂(賢聖院=大和北部/新四国 八拾八所廿二番霊場)などを示している。 梅林が広がる高台からの眺めはよく、弘法大師と関わりが深い霊山寺まで降って解散した。参加者のみなさんは拝観されたりバスに乗られたが、スタッフは富雄川に沿って駅まで歩く(2023.10.2)。 |