古くから山岳信仰の山として仰がれてきただけに、その歴史の一端にふれたいと思っていた。山頂に祠や行場がある峰も多く、それぞれ信仰と修行の痕跡を訪ねるつもりである。 烏帽子ヶ岳山頂直下の岩に加護丸稲荷大明神が祀られ、夥しい数の狐の焼物が供えてあった。榛名湖温泉側の参道も同様の場所があり鳥居が建てられている。農業神である稲荷信仰の一つの形式であろう。 榛名富士には富士山神社があり、木花開耶(このはなさくや)姫が祀られることから良縁・安産の神として信仰を集める。近くには四神の石碑もあった。晴れていたら大パノラマの一等三角点だが、霧に包まれ時おり湖面が望めるだけだった。 磨墨(するす)岩の行場に立ち寄り、下部の行者之窟も入ってみる。「するす」は臼(うす)のことで、少し離れた場所から振り返ると岩の形はまさにそのとおりである。 相馬山は黒髪山とも称し、山頂は神像が点在し社殿に香のにおいが残っていた。古くは、榛名神社の末社として広大な領地を有していたらしい。神名の「くろかみ」は龍神・水神である「くらおかみ」が転訛したとされる。 二ツ岳は岩場で構成される三つのピークの総称で、天候と時間の関係から雄岳だけに登頂する。電波塔の建つ上部の最高地点に石祠があった。麓の鷹ノ巣風穴近くには「一合目」の石柱が残り、かつての信仰を彷彿とさせる。そのあと、湯元から伊香保神社の横を温泉の石段街に出た。 利根川水系の烏(からす)川流域から伊香保や吾妻(あがつま)方面へつながる道は、天神峠を越えて榛名山の内院に入る。今回は峠から山麓へ逆にたどる。峠には文化12(1815)年の常夜燈があり、本来は旧峠に建っていたらしい。旧道は榛名川右岸に沿って榛名神社へ下るため、道路に比べ約半分の距離しかない。途中に丁石と道標が残る。常滑ノ滝や九折(つづら)岩・瓶子(みすず)ノ滝・矢立杉など見どころが多い。岩塔と岩壁に囲まれた榛名神社境内もよい雰囲気だ。 高崎市一帯は台地のため、大きな河川(烏川・井野川)に囲まれながらも水資源に乏しい。長野堰(ながのせき)は暮らしを支える基盤として平安時代に造られたが、水量を確保するため榛名湖の水も利用される。明治時代に、湖畔の取水口から榛名川へ隧道が掘られた。用水の歴史を学ぶ道でもあった。 地域の生活と社会を見守る山として、榛名山は昔も今も変わらない存在だと実感した(2023.5.12〜5.14)。 |