大峯山(山上ヶ岳)は言わずと知れた修験の山。山頂には元禄年間に建てられた大峯山寺(本堂)があり、開扉(とあけ)式から閉扉(とじめ)式までの間は各地から修験者が集う。また、大峰山脈の主峰として奥駈道を歩く登山者や上多古(こうだこ)川・神童子(じんどうじ)谷の溯行者にも馴染みの山である。今回の目的は、五番関(ごばんせき)から阿弥陀(あみだが)森の間の再確認と、阿古滝谷にある瑪瑙(めのう)窟を探索すること。天気のよい日を選んで出かける。 洞川(どろがわ)温泉から毛又(げまた)谷の林道を使って五番関に達し、寺及之(じきゅうの)宿跡への旧道を登る。鍋冠(かつぎかんむり)行者堂・今宿茶屋跡を過ぎると鎖がかかる現在の蛇腹に出た。飢(かつ)え坂を登り切ると洞辻(どろつじ)茶屋で、参詣道が建物の中を通過する。ここ浄心門(第六十八靡)は、清浄大橋から登ってくる道との合流地点でもある。 陀羅助茶屋に来ると行く手に鐘掛(かねかけ)岩がそびえ、右へ西ノ覗につづく表行場の岩場が見える。先に迂回路で上からの景色を眺め、行者の集団が途切れた時に鐘掛岩を登る。鷹ノ巣岩とお亀石を見て西ノ覗までくると山上に建つ宿坊(参篭所)の建物が近い。等覚門をくぐり、吉野熊野国立公園の誕生に尽力した岸田日出男の顕彰碑を見て、そのまま大峯山寺の本堂に向かう。蔵王権現が現れた頂上の湧出岩から日本岩を周回して龍泉寺参篭所へ戻った。 東ノ覗がある裏行場は、参篭所の先達によって案内が行なわれる。喜蔵院の横から入り、役行者像がある不動ノ登り岩より胎内くぐり・大黒岩・蟻ノ戸渡・平等岩などを経て元結払(もってんばら)いで終える。現在の参篭所は、桜本坊(金峯山修験本宗)・竹林院(単立)・東南院(金峯山修験本宗)・喜蔵院(本山修験宗)・龍泉寺(真言宗醍醐派)の五ヶ寺。大峯山寺を守る護持院として活動している。 本堂前から大普賢岳方面へ降り、化和拝(けわいの)宿跡(標石「柏木迄百十四丁」)から地蔵岳の旧道をたどる。投げ地蔵の先で阿古滝道が左へ分かれる。「オロシ岩」の先で登り始めると小篠(おざさ)ノ宿が現れた。水場もあり奥駈けの代表的な宿で、石垣がある平坦地が周辺に広がる。不動明王像前の護摩炉には元禄九年の銘がある。竜ヶ岳から第六十五靡の阿弥陀森と第六十四靡の脇ノ宿まで往復する。柏木道の合流する地点に女人結界門があった。元は小篠ノ宿に置かれていたらしい。 尾根につけられた阿古滝道を降ると、左に東ノ覗の岩場が一望できる。尾根はシャクナゲが群生し、中腹より下では満開の見事な光景が見られた。阿古滝の落口に立つ不動明王像から瑪瑙窟に向け上流をめざす。付近の岩場や滝の周辺を入念に探し、やっと身体が通る入口を見つけた。中はけっこう広い。落口に戻って、右岸下流のガレ谷を慎重に降り阿古滝を見に行く。 上多古川本流と矢納谷の出合に向け、地形図記載の山道を進むが途中で何度も見失う。事前に山行記録のルートも図版に記してきたものの、それも当てはまらない状況がつづく。岩場や急斜面で思うように進めないことも多く、思いのほか時間がかかった。ただ、落ち着いていられるのは帰途のバスまでに時間が十分あることと、なによりシャクナゲの花が美しいこと。植林帯になって道は明瞭になり、左右の滝の音を聞きながら林道の終点に降り立った。 上多古川の右岸につけられた林道を下山し、上多古集落を経て柏木まで行く。川沿いの旧街道に里程標石が立っていた。かつて、山上ヶ岳からの下山によく使われた柏木道を示す標石である(2023.5.3/5.4)。 |