能勢町(大阪府)の野間・地黄(じおう)付近をあちこち歩いてきた。ピークは来見(くるみ)山・猪子(いのこ)山・高岳・城山(丸山)の四座で、社寺や峠道をつないで周回する。 「野間の大ケヤキ」では、高所作業車を使ってヤドリギの撤去が行なわれていた。葉のないこの季節が適期で、6年ほどで1トン以上も繁茂するという。なかなか手間のかかる仕事だが、巨樹を守るためには大切な作業だ。野間川の下流方向に進むと来見山が近づいてくる。「経房遺書」によれば、野間出野(しゅつの)は安徳天皇とのかかわりが深く、岩崎八幡社の主神として祀られる。藤原経房墓を経て、山頂にある安徳天皇陵へ達した。 北側の猪ノ子峠道に出て、峠から愛宕大権現の小祠を経て猪子山に登る。四等三角点の頂上は広い平坦地で、堀切を間に下部にも曲輪跡が展開する。林道に戻って高岳の三等三角点をめざす。周囲は落葉広葉樹林だが見通しはあまりよくない。部分的に剣尾山方面が確認できたに過ぎない。登頂後はほぼ地形図どおりの道で上田尻の一角に出る。 急な石段の天満宮を参拝し、仏坂峠への道を上ると石原古墳群の説明板が立っていた。道の際にも石室の一部が確認できる。峠に着くとやはり題目の石碑がある。妙見信仰の盛んな土地だけに、古道の多くで見られる光景である。地黄へ下る峠から丸山城址の丘陵(城山)を南に向かい、本丸・二ノ丸を経て大手道を山麓に出た。取付地点に弘安11(1288)年の九重石塔と延文5(1360)年の宝篋印塔が残る。 近くの清普(せいふ)寺はこの地を治めた能勢氏の菩提寺である。中興の祖とされる頼次(よりつぐ)による開創。境内の巨大な五輪塔や墓石群に圧倒される。どれも家紋である矢筈紋が彫られていた。落ち着いた地黄の集落も好ましく、昭和初期に建てられた公会堂や地黄城址(江戸時代)へ立ち寄る。酒店で能勢の人々や社会のことを教わり、最後は式内社の野間神社に寄ってから出発地点の本滝口まで歩く。なかなか興味深い能勢の山里の一日だった(2023.1.13)。 |