探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.832【瓜生山の石切場】
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左=粗加工された石(清沢口@)  右=石切道の石垣(清沢口@)
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石切道に散らばる石材(中間作業石置き場@)
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石切丁場跡(清沢口@)
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尾根の上部まで露頭が広がる(清沢口@)
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尾根の反対側にある大規模な丁場跡(A)
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大文字山と右手に送り火の火床が見える(露頭Aの上部から)
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清水山(前景左)と交野山(中景中央左)。遠景左手は生駒山の山稜(露頭Aの上部から)
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左=風化した露頭(A)  右=破片が堆積したズリ(A)
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東の丁場跡周辺は何段もの石垣が連なる(B)
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美しい紅葉で彩られる東の丁場跡(B)付近
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左=東の丁場跡(B)につづく石切道  右=最上部の露頭の一部(B)
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 北白川の瓜生(うりゅう)山は歴史的におもしろい山で、あちこち歩くのを楽しみにしている。加えて、白川石を切り出す山としても重要で、このところ再確認のために谷と尾根を一つずつトレースし直している。
 よく知られる清沢口の丁場(@)には、『北白川愛郷会』の説明板が設置され寄り道される方も多い。ただ、尾根の側壁は左右に長くつづき、瓜生山の山頂部に向けて岩場が発達している。その様子から、広範囲にわたって切り出された印象を受ける。
 岩壁上の支尾根の東面には大きな露頭(A)があり、風化が進んでいるものの谷筋には石の破片の積み重なった区域がある。また、頂上の南南東直下には最も大規模な丁場跡(B)があり、谷筋の明瞭な石切道には両岸に何段もの石垣が残る。
 明治時代の20,000分の1仮製図(陸地測量部)ではこの東の現場(B)に記号が付され、大正時代以降の50,000分の1地形図(陸地測量部・国土地理院)ではAの現場が追記される。戦後の修正版からは石切場の記載がなく、地元でなじみ深い清沢口(@)はいつ頃のものだろう。思いのほか稼働年月は短かったのかもしれない。
 白川流域では平安時代から長く営まれた生業だけに、埋もれてしまった事実も多いことだろう。地形が変わるほど採石したり、滝がなくなったり、そうした痕跡をこれからも探索するつもりでいる。
 身代不動尊から無動寺川に沿ってつづく「弁財天道」には、蓬谷の石切場があった。下流右岸に露頭があるものの、詳しい様子は不明である。「比叡アルプス」への道を分けて上流に踏み込むと、石積みやまとまった破片を数ヶ所で見ることができる。これらの丁場の特定も今後の課題だ(2022.12.3/2023.1.6)。
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蓬谷の露頭
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左=「比叡アルプス」取付付近の無動寺川  右=無動寺川上流に残る石積み
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