北白川の瓜生(うりゅう)山は歴史的におもしろい山で、あちこち歩くのを楽しみにしている。加えて、白川石を切り出す山としても重要で、このところ再確認のために谷と尾根を一つずつトレースし直している。 よく知られる清沢口の丁場(@)には、『北白川愛郷会』の説明板が設置され寄り道される方も多い。ただ、尾根の側壁は左右に長くつづき、瓜生山の山頂部に向けて岩場が発達している。その様子から、広範囲にわたって切り出された印象を受ける。 岩壁上の支尾根の東面には大きな露頭(A)があり、風化が進んでいるものの谷筋には石の破片の積み重なった区域がある。また、頂上の南南東直下には最も大規模な丁場跡(B)があり、谷筋の明瞭な石切道には両岸に何段もの石垣が残る。 明治時代の20,000分の1仮製図(陸地測量部)ではこの東の現場(B)に記号が付され、大正時代以降の50,000分の1地形図(陸地測量部・国土地理院)ではAの現場が追記される。戦後の修正版からは石切場の記載がなく、地元でなじみ深い清沢口(@)はいつ頃のものだろう。思いのほか稼働年月は短かったのかもしれない。 白川流域では平安時代から長く営まれた生業だけに、埋もれてしまった事実も多いことだろう。地形が変わるほど採石したり、滝がなくなったり、そうした痕跡をこれからも探索するつもりでいる。 身代不動尊から無動寺川に沿ってつづく「弁財天道」には、蓬谷の石切場があった。下流右岸に露頭があるものの、詳しい様子は不明である。「比叡アルプス」への道を分けて上流に踏み込むと、石積みやまとまった破片を数ヶ所で見ることができる。これらの丁場の特定も今後の課題だ(2022.12.3/2023.1.6)。 |