探山訪谷[Tanzan Report]
space
space
space
space
 No.827【国東半島の最高峰】
space
221222_1
space
space
両子寺の仁王門
space
space
space
221222_21space221222_20
space
space
奥ノ院参道入口の仁王像
space
space
space
221222_2space221222_3
space
space
左=崖上国東塔(角閃安山岩でできた格狭間のある三重の基礎を持つ)  右=奥ノ院付近には岩塔が聳える
space
space
space
221222_4space221222_5
space
space
左=百体観音・針の耳  右=鬼の背割
space
space
space
221222_9
space
space
香々地(かがぢ)方面(遠景左は伊美山。中央は黒木山。右手に鷲巣岳。右端は千燈岳)
space
space
space
221222_6
space
space
千燈岳(遠景左)・文殊山(中景左手)と周防灘
space
space
space
221222_7
space
space
姫島
space
space
space
221222_8
space
space
大嶽(おたけ)山(中景左)と南東方向
space
space
space
221222_10
space
space
別府湾
space
space
space
221222_11space221222_12
space
space
左=フィックスロープがつづく両子山北峰の下り  右=トンガリ山
space
space
space
221222_13
space
space
宇佐方面(中景右は屋山。左の谷筋に並石ダムが見える。遠景左から西教山の尾根と右へ米神山・雲ヶ岳・鹿嵐山など)
space
space
space
221222_14
space
space
両子山(走水展望所から)
space
space
space
221222_15space221222_16
space
space
左=走水峠への尾根  右=走水観音の霊水
space
space
space
space
 国東半島を象徴する「六郷満山(ろくごうまんざん)」。半島の中心に位置する両子(ふたご)山から、放射状に流れ下る川筋に山岳仏教寺院が数多く営まれた。全盛期には60以上あったとされ、現在でも約半数を数えることができる。「六郷」は周辺山麓の来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・安岐(あき)・武蔵(むさし)・国東(くにさき)・伊美(いみ)を表し、半島全域にわたる寺院群が形成されていた。学問をするための「本山」、修行をするための「中山」、布教のための「末山」に分かれる。
 両子山の中腹にある両子寺は開祖=仁聞(にんもん)菩薩坐像があり、八幡神(宇佐八幡)と天台修験が結びついた独特の信仰形態を今に伝える。その一端を感じたくて、護摩堂から鬼橋を渡って奥ノ院本殿へ向かった。その後は「お山巡り」のルートで、百体観音から鬼の背割を経て鹿のツメ石に出た。
 谷沿いの道路は屈曲を繰り返し、山頂の電波塔までつづく。半島の最高峰だけに、展望台では周防灘から内陸まで見渡せるものの、遠方は雲に覆われている。強風が吹きつけるのでゆっくりできず、行動食を口にして北峰からトンガリ山に向かう。ロープが張られた急坂を慎重に降り、走水(はしりみず)岳を過ぎると穏やかな樹林帯になった。
 一定の湧水が年中流れ出す走水観音までくると風も弱まり、陽だまりを求めて両子寺の境内に戻る。長い歴史を誇り紅葉の名所として知られるが、滞在中は他に訪ねる人がなかった。落葉した光景もすがすがしく心地よい。入口にはすでに門松が飾られ、すっかり迎春の準備も整っていた。
 帰途の日の早朝、八幡信仰の総本宮である宇佐神宮を参拝する。丘陵の広大な神域がこの地の風土を端的に示し、立ち寄っただけのことはあった。奈良時代から平安時代にかけて、宇佐神宮は国東半島で広大な荘園を有していた。神宮寺である弥勒寺の僧侶たちが、山岳修行を求めて開いたのが「六郷満山」の始まりである。1300年を超える神仏習合の文化と歴史は、想像以上のインパクトを与えてくれた(2022.12.22)。
space
space
221225_02space221225_01
space
space
宇佐神宮(宇佐八幡宮。左=上宮/右=下宮。撮影=12月25日)
space
space
space
 →「探山訪谷」へ戻る→ホーム(トップ)へ戻る
space