国東半島を象徴する「六郷満山(ろくごうまんざん)」。半島の中心に位置する両子(ふたご)山から、放射状に流れ下る川筋に山岳仏教寺院が数多く営まれた。全盛期には60以上あったとされ、現在でも約半数を数えることができる。「六郷」は周辺山麓の来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・安岐(あき)・武蔵(むさし)・国東(くにさき)・伊美(いみ)を表し、半島全域にわたる寺院群が形成されていた。学問をするための「本山」、修行をするための「中山」、布教のための「末山」に分かれる。 両子山の中腹にある両子寺は開祖=仁聞(にんもん)菩薩坐像があり、八幡神(宇佐八幡)と天台修験が結びついた独特の信仰形態を今に伝える。その一端を感じたくて、護摩堂から鬼橋を渡って奥ノ院本殿へ向かった。その後は「お山巡り」のルートで、百体観音から鬼の背割を経て鹿のツメ石に出た。 谷沿いの道路は屈曲を繰り返し、山頂の電波塔までつづく。半島の最高峰だけに、展望台では周防灘から内陸まで見渡せるものの、遠方は雲に覆われている。強風が吹きつけるのでゆっくりできず、行動食を口にして北峰からトンガリ山に向かう。ロープが張られた急坂を慎重に降り、走水(はしりみず)岳を過ぎると穏やかな樹林帯になった。 一定の湧水が年中流れ出す走水観音までくると風も弱まり、陽だまりを求めて両子寺の境内に戻る。長い歴史を誇り紅葉の名所として知られるが、滞在中は他に訪ねる人がなかった。落葉した光景もすがすがしく心地よい。入口にはすでに門松が飾られ、すっかり迎春の準備も整っていた。 帰途の日の早朝、八幡信仰の総本宮である宇佐神宮を参拝する。丘陵の広大な神域がこの地の風土を端的に示し、立ち寄っただけのことはあった。奈良時代から平安時代にかけて、宇佐神宮は国東半島で広大な荘園を有していた。神宮寺である弥勒寺の僧侶たちが、山岳修行を求めて開いたのが「六郷満山」の始まりである。1300年を超える神仏習合の文化と歴史は、想像以上のインパクトを与えてくれた(2022.12.22)。 |