宇治田原町(京都府)と大津市大石(滋賀県)の間にある禅定寺(ぜんじょうじ)峠は、山城と近江を結ぶ古くからの間道だ。現在はその近くを府県道(783号)が通じ、大型トラックが頻繁に往来する主要道路となっている。新名神高速道路の工事も各所で行なわれており、要衝としてその役割は変わっていない。 交通事情に加え、峠を実感するために大石小田原から猿丸(さるまる)神社を経て禅定寺へ向かうことにした。小田原のバス停から歩き始めると、現道は北側の支流へ迂回するように敷設される。曾束(そつか)への分岐で府県境になる。東側の表参道を登ると「猿丸さん」で、美しい紅葉に包まれていた。祭神の猿丸大夫は三十六歌仙の一人としてよく知られる。周囲に幼樹が植えられ、年月が経てば見事な景観が広がると思われる。 裏参道から道路に出て禅定寺をめざす。峠名からもわかるとおり、この一帯が寺領だったのだろう。平安時代の隆盛が偲ばれる。仁王門がある南側から参道を進むと茅葺きの本堂が好ましい。傍らには柿屋が造られ、まもなく「古老(ころ)柿」づくりが始まるはずだ(寺院では「孤娘柿」と表記)。藤原時代の十一面観音立像(本尊)も見事である。 門前から東方を望むと、近くに低い山稜が横たわる。西側から旧道を登り始めると、行く手の地形が削られて茶畑が造成されていた。周囲は薮に覆われ、仕方なく畑の中を行く。頭上の送電線が近づいたところから旧道が復活する。思いもよらない改変ぶりに、峠道は埋もれたのかもしれない。 『近江の峠』(伏木貞三著・1972年・白川書院)には、「小松の中をあちこちさまよっていると……花崗岩の角柱の切れ端がころがっているのを見つけた。……峠にたった一つ遺る過去の残影であった」という記載がある。残念ながら、地形図と地形が合わないので、手がかりを得るのは難しい。禅定寺の住職が言われていた古道の保存も、既に忘れ去られた歴史なのかもしれない。 山稜を南へ進むと、別の茶畑でまた地形が変わっている。高台からは、大峰山や鷲峰山の大きな山容がよい雰囲気を醸し出していた。峠探しもここまでと判断し町道へ降り立つ。 すぐそばに、山野の開かれたエリアがあって新名神の工事が進む。予定していた町道は立入禁止で、迂回を余儀なくされる。禅定寺川に沿って岩山地区へ入ると、ここも工事が進み再び迂回させられた。やっと旧道に戻り、三宅安兵衛の道標を見て維中前バス停まで歩く。今夏から工事の規制が敷かれたようで、もう少し早く訪れていたらと悔やまれる(2022.11.15)。
三叉路(旧道)の道標に刻まれた文字は次のとおり。なお、猿丸神社・禅定寺にも同種の標石が立つ。 「道しる留遍(以下、ブロックに隠れて判読不可)」 「左 石山道/禅定寺 廿丁/石山寺 二里半/大津 五里」 「昭和三年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之」 「右 信楽道/湯屋谷 一里/奥山田 二里/信楽 五里」 |