近年は、どの地域でも地元の歴史や見どころの発掘が盛んだ。寂光院・三千院のある大原は古くからよく知られた土地だが、埋もれた魅力の発信にも力を入れている。「大原の里10名山」もその流れに沿ったもので、今では対象山岳を目的に訪れる人たちが多い。 隣に位置する岩倉でも同様で、静市との境界にトレイルコースが整備されているのを最近になって知った。北山の前衛峰として、瓢箪崩(ひょうたんくずれ)山や八塩山には何度も出かけているが、箕ノ裏(みのうら)ヶ岳の南西部にある繁見坂から岩倉木野町への尾根は歩いたことがなかった。 大原戸寺町を出発して江文峠に達し、471m標高点から西に向けて登り降りを繰り返す。雨模様ながら、静市静原町の墓地では京都市街から生駒山・男山・西山方面の展望が開けていた。三等三角点のある頂上から屈曲する尾根を繁見坂(峠)に降り、静市市原町への道を回り込んで再び取り付く。最高地点は334mだが、小さな峰がいくつも連なる。2.5万図には、尾根から谷へ下り、再び尾根へ上り返す道が記載されるものの、不自然さが残る。実際は尾根筋をトレースする歩きやすい道がつづいていた。 岩倉上蔵(あぐら)町に入ると、岩倉具視(いわくらともみ)が隠棲していたとされる地に大久保利武(おおくぼとしたけ)の書による石碑(昭和7年建立/財団法人 岩倉公旧蹟保存会)が立っていた。西面には以下のように記されている(「京都のいしぶみデータベース」から引用)。
文久二年岩倉公朝譴ヲ豪リ岩倉村ニ屏居ス時ニ激徒去来シ テ之ヲ窺スコト頻ナリ百害ヲ加ヘントスル急ナルニ会ス 公乃チ此ニ避匿スルコト数日以テ免ルト云フ今茲公ノ五十 年祭ヲ行フニ方リ石ヲ樹テ以テ表ス
つづく峰(240m)には、室町時代の豪族=山本氏の山城(岩倉上蔵城)跡があり、実相院に向けた尾根に郭群が築かれていたらしい。そのあと南から西に回り込み、木野愛宕神社へ下山した(2022.11.1)。 |