探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.814【十津川村の集落】
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山の中腹に開かれた果無〔中景左は行仙(ぎょうぜん)岳。中景右手は小原峰〕
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左=集落につづく石段と石垣  右=果無集落の民家
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果無越に残る西国三十三所観音巡礼の石仏〔櫟砂古(いちさこ)には華厳寺と宝厳寺の大小二体が残る〕
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二津屋ダム貯水池左岸の高台にある高森
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上葛川口付近の民家
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下葛川
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 奈良県南部の山地は、熊野川水系などの深く険しい地形が広がる。さぞ、厳しい暮らしが待ち構えていそうだが、十津川村の古い地形図を見ると、山中にある日当たりのよい緩斜面や尾根上の平坦地に集落を形成している。かつて、西高野街道が通る小森には十津川村役場もあった〔1892(明治25)年〕。生活の安全を保つための知恵・工夫といえるだろう。いつ水害などに見舞われるかもしれない場所でなく、隔絶していても集落間の連携を考えた社会システムが機能していた。最大のネットワークは、尾根筋と山腹を横切る道や峠である。
 時間が少しあったので、いくつかの集落を訪ねた。世界遺産に登録され、すっかり有名になった果無(はてなし)集落だけでなく、どこも美しく安定した景観に包まれる。西国三十三所のミニ巡礼道も、流域の人々の祈りが積み重なるように石段が残っていた。
 今でこそトンネルや橋梁で快適な道路に変わり、都会や周辺地域との距離・時間は短縮された。交通網が川沿いに移ったため、山中の地は取り残されたように感じる。現代は便利さを第一の価値として捉えているものの、これからの時代を考えると環境や暮らし方の見直しが必要になるのではないだろうか。地域の魅力や発展という点でも、大事な要素があるように思われる(2022.10.24・10.25)。
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ダム湖畔の十津川温泉
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