木曽山脈の最南部に離れて位置する恵那山(胞衣山・胞山)は大きな台形の山容が特徴だ。美濃側ではその姿から舟覆(ふなふせ)山・船伏山・横長岳とも呼ばれており、胞衣(えな)は天照大神の胎盤を埋めたことに由来するという。 恵那神社の参詣道である前宮(まえのみや)ルートは行程が長いので敬遠されがちだが、できることなら一度歩いてみたかった。往復は厳しいので、神坂(みさか)峠から登って川上(かおれ)へ降りることにする。それでも、登りは1,000メートル以上、降りは2,000メートルに達する標高差があり、距離は約17キロメートルという長丁場だ。 帰りの交通を考えて、日の出直前の午前4時30分に峠を出発する。明るくなってきたので快調に進み、千両山から鳥越峠へアップダウンを繰り返す。ウバナギの崩落地手前は東斜面をトラバースして大判山へ。テングナギ辺りからサラサドウダンの花が目立つようになった。木によって濃淡があり、そのグラデーションが美しい。標高2,150メートルを超えると修験者が往来した前宮ルートが合流する。わずかな登り降りを繰り返して頂上の一等三角点に達した。途中にはいくつもの社祠と避難小屋が建っている。岩場からは富士山が望めるそうだが、うっかり見逃してしまった。 神坂峠への分岐に戻り、一乃宮社を見て尾根を降る。はじめはなだらかな道で歩きやすい。十八合目・十六合目など階層を示す標石が残る。一般的には十合目を山頂とするが、この山は二十合あるという。「空八丁」の急坂を降ると十四合目へ着く。この先に行者越の岩場と物見ノ松があって西側は開けていた。しばし風景を楽しむ。1,801.5メートルのピークが空(そら)峠で、八右衛門ノ頭とも呼ばれる。地形図から予想していたが、「隠れピーク」のあるこの付近がルートの山場だろう。あとは、ほぼ下り一方の道になる。 大きなヒノキの立ち枯れを見て平坦地が現れると中ノ小屋跡に着いた。正ヶ根(しょうがね)谷の崩落地は砂防工事中で、尾根を外した南斜面に迂回路が設けられている。ロープと目印でルートを間違うことはない。平坦地に出たところが五合目だった。左側の支流が近づき、折り返すように谷を渡る。歩きやすくなった植林地を降ると登山口に出た。 さっそく、集落のいちばん上にある恵那神社へ御礼に参拝する。中津川の川縁まで降り、「日本近代登山の父」と称されるW.ウェストン(イギリス人宣教師)の銅像と対面して正午に山行を終えた。説明によると、氏は1893(明治26)年にここ(川上)から恵那山へ登頂した。著書の “MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS”〔『日本アルプスの登山と探検』(第十章)〕でこの山を紹介している。誌面には当時の風俗や事情が描かれていて興味深い(2022.7.1)。 |