探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.773【八ヶ峰の眺望】
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青葉山(中央)と遠景左は太鼓山。遠景右に権現山・船津山(山頂西側の送電線鉄塔から)
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遠景中央左は飯盛山。遠景右手に久須夜ヶ岳(遠景左は大島半島)
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地蔵山が姿を見せる(最遠景左手)
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頂上から北東方向(遠景中央は多田ヶ岳。最遠景左手は梅丈岳。最遠景中央右に野坂岳)
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東方向(遠景右手の最高峰は百里ヶ岳。背後の中央に武奈ヶ嶽。最遠景左手は三十三間山〜三重嶽の稜線)
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南東方向(遠景左手は百里ヶ岳の山稜。遠景右手に三国岳が見える。右端は傘峠)
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百里ヶ岳(中央)
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由良川源流の山稜(中央の高峰群は、左から三国岳・傘峠・ブナノキ峠。最遠景に武奈ヶ岳・打見山の山頂が姿を現す)
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中景中央左は白尾山。背後の右に八ヶ尾山(遠景中央右手は三嶽・西ヶ嶽。遠景右端は長老ヶ岳の尾根)
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最遠景左から深山・大野山・弥十郎ヶ嶽
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左=八ヶ峰頂上  右=ヤマツツジ
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 若丹国境の八ヶ峰(はちがみね)は、山嶺から八ヶ国を一望できるのが由来とされる。『京都府北桑田郡誌』〔大正12(1923)年〕では、丹波・丹後・山城・近江・若狭・越前・加賀・能登を見ることができる秀峰とされるが、ほかの旧国名を上げる資料もある。
 大パノラマの頂上はこの付近では珍しいものの、樹木の成長で見えない範囲が広くなっていた。送電線が通る西側の鉄塔からは、補って眺められる山もあり、なんとか面目を保っているといえる。若狭湾は確認できたが、遠くの伊吹山や樹木に遮られた長老ヶ岳は見えずじまいで終わった。
 何年ぶりかで知見(八原)から知井坂(血坂)を登って訪れたが、古い峠道周辺は今もすばらしい落葉広葉樹林が広がっている。頂上から名田庄(なたしょう)堂本への尾根を降って峠道と合流し、若狭側唯一の湧水とされる「弘法さんの水」(船願主 小濱名田庄志中/樋願主 八原喜右衛門 世話人忠治郎 享和二年戌六月)で喉を潤した。トチノキやホオノキの花が咲き、緑や紫の仏炎苞をもつマムシグサが林床に点在する。あとしばらくすれば、コアジサイの花が咲き乱れることだろう(2022.5.24)。
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若狭側の樹林
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左=トチノキ(花)  右=水場に設置された石の樋と手水鉢(「弘法さんの水」)
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歩きやすい道がつづく新緑の知井坂(明治時代には、陸軍の演習で大砲が越えたという)
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