木津川市の鹿背山(かせやま)は戦国時代の松永久秀が整備した山城跡(それ以前は詳らかでない)。京都府下では中世最大の規模という。周辺の当尾(とうの)や大仏鉄道の遺構を訪ねてから気になっていたエリアである。歩きやすい冬期に、付近の石仏や寺社と一緒に歩こうと「京都再発見」の講座で企画した。木津と加茂・笠置を結ぶ古い街道もテーマである。 木津駅(西口)を出て、背の低い明治時代の上戸(じょうこ)川橋梁をくぐって燈籠寺に向かう。駅の東側は、新しい道路や住宅が広がって景観を一新させている。燈籠寺は飛鳥・奈良時代に建てられた寺院で、現在は地名だけが残る。名前どおりの峠を越えて鹿背山に入ると、再び峠が現れる。古くからの集落は小高い丘陵に開かれ、水害を見越した暮らしがつづく。 西念寺の前から鹿背山城跡に登り、最高地点の主郭Tから水の手を経て曲輪跡を周回した。途中に堀切・堅堀・虎口・土塁などが見られ、地形を活かした配置がよくわかる。登城口に地図が用意されているのも嬉しい。西念寺へ戻り、次は八王子恵比寿神社へ向かう。橘清友の伝説によるものか、神社の幕には橘紋が染められていた。途中の道路で、張り出す岩に磨崖仏が刻まれている。奈良や当尾との関連があって興味深い。 観音寺峠を越えると石部川水系で、観音寺石仏や西明寺に寄りながら大野から加茂駅へ出た。勝手春日神社下の河原に残る残念石(大坂城修繕のために備蓄されたもの)を訪ねたが、工事で中に入れず説明板を読むだけで終わる。残念!(2022.1.18) |